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アセアセしない心 平常心について

平常心とは、普段と変わらない心で、揺れ動くことのない心理状態のことを言います。通常は、”へいじょうしん”と読みますが、禅の世界では”びょうじょうしん”と読むようです。

この言葉に初めて出会ったのは、小学生の頃でした。小学生の私は、いつもアセアセ/オドオドしていて、平常心の欠片かけらもありませんでした。近くの警察署で剣道を習っていたのですが、その時の剣道の先生が、”平常心”について話してくれました。半世紀ほど前のことなので、今となっては、どんな話だったか忘れてしまいましたが、”平常心”という言葉が、私の心の琴線に触れました。

それからは、しばらく”平常心”がマイブームになりました。たぶん、小さなことが気になって、いつもアセアセしていた自分が嫌だったのだと思います。もちろん、平常心の話を聞いただけで、いきなり平常心が身に付くはずもありません。まずは平常心の訓練です。

それまでは、モノが落ちた時の音に反応して、すぐに振り向いていたのですが、平常心を意識した後は、一呼吸置いてから振り向くことにしました。些細なことですが、これを繰り返していたら、段々と小さなことが気にならなくなりました。

もちろん、修行僧のように完全に平常心が保たれているわけではありません。いまでも、アセアセすることは結構あります。しかし、平常心を意識し続けると、心の振れ幅が小さくなった気がします。子供の頃は、大波のように揺れていた心の揺れが、いまではさざ波くらいにしか揺れません。

ただし、あまり平常心を持ちすぎると、物事に感動しなくなるので注意が必要です。やはり、過ぎたるは及ばざるがごとしで、ほどほどの平常心が丁度良いみたいです。


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