見出し画像

禁じ手・反則について

禁じ手は、スポーツやゲームなどで、安全性・公平性を確保するために設定された禁止事項のことで、禁手や反則とも呼ばれます。将棋の禁じ手と言えば”二歩”です。これは同じ筋(縦のライン)に歩を二枚使ってはいけないという反則技です。将棋のルールを覚えたての頃は、結構やったりしますが、プロになっても極めてまれにあったりします。

各種スポーツには、競技ルールの他に、使う用具やウェアにも細かいルールがあって、これに反すると記録が無効になったりします。それだけ、ルールは厳格なのです。人間の通常の生活にも、当然ルールがあります。法的には問題なくても倫理的に問題がある場合もありますし、法的に触れる場合もあります。

時々、本屋さんの万引きがニュースで取り上げられることがあります。本屋さんは元々薄利多売な商売なので、万引きされたりしたら、商売が成立しません。世の中には、万引きを軽く考えている人がいますが、万引きは”立派な犯罪”です。厳密に言えば、”立ち読み”も犯罪(窃盗罪?)に当たりますが、常識を超えない範囲なら、グレーソーンとして黙認されています。

今朝見たニュースで、東京の古書店でのエピソードが取り上げられていました。このニュースのタイトルは『青春の禁じ手』で、学問のためにどうしても必要な本を買えなかったため、古書店に通って書き写したという話でした。この事実だけを聞けば、限りなく”盗み”に近い行為で、やってはいけない禁じ手です。しかし、古書店の店主は事情を聴いた後で、「出世払いでいいので、持っていけ」と言ったそうです。その青年は、その本で勉強し、後々立派な研究者に”出世した”そうです。

やったことは禁じ手ですが、止むに止まれぬ向学心がそうさせたのかもしれません。このニュースを聞いて思い出したのが、南方熊楠の幼少期のエピソードです。南方 熊楠みなかた くまぐすは1867年(慶応3年)に生まれた、日本の博物学者・生物学者・民俗学者です。生物学者としての彼の最も有名な研究は粘菌の研究で、昭和天皇に粘菌の標本を献上したこともありました。

また、記憶力が飛び抜けていたため語学にも堪能で、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、英語、スペイン語に長けていたそうです。昔読んだ南方熊楠伝みたいな本の中で、彼がサーカス団と共にアメリカを放浪していた時に、語学力を生かしてラブレターの代筆をしていたことが書かれていました。熊楠はその言動や性格の”癖が強すぎて”、後世に数々の逸話を残しています。

熊楠は、子供の頃に見た”和製博物図鑑”である『和漢三才図会』に魅了されました。そこで彼は、知人からこの本を見せてもらい、家に持って帰れないので記憶しながらの筆写をしたのでした。売り物を筆写したのではなく、個人の本を”記憶して、家で記憶を頼りに再現する”ことをしたのでした。驚異的な記憶力です。このエピソードだけで、熊楠も凄さがわかります。しかもこれをやってたのが、10歳前後なのです。

禁じ手から話が逸れてしまいました。ズルしてでも自分の利益を優先したい気持ちは分からなくもありませんが、やはり正直が一番です。本屋さんで本の内容を書き写すことは、著作権の侵害や窃盗罪になるので、マネしてはいけません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?