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空想考古学・邪馬台国はココだ!#4 魏志倭人伝のファンタジーな国々

 今回はちょっと長くなりました。空想考古学では、邪馬台国を奄美大島に想定しています。魏志倭人伝の女王国(邪馬台国)の周りには、まだ解釈が定まっていない不思議な国がいくつか記述されています。しかし、奄美大島を邪馬台国と考えると、色々と辻褄が合うのです。魏志倭人伝の読み下し文になりますが、以下が邪馬台国周辺の謎の国々の箇所です。

『女王國の東、海を渡る千余里、またあり、皆倭種なり、また侏儒國その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國黒齒國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。 倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。』

 最初に出てくる名前のない国は、女王国の東の海上千里のところにあります。これは奄美大島(邪馬台国)の東にある喜界島だと考えられます。空想考古学では、一貫して千里は75kmを想定しています。喜界島は、距離的には千里よりやや短いのですが、大雑把に千里と考えても問題ありません。

 次に出てくるのは、侏儒國です。侏儒国は、邪馬台国の南の四千里の場所にあります。侏儒国の人の背丈は三、四尺ですから、1尺を30㎝で計算すると、1m前後になります。よって、侏儒國は小人の国と解釈されていますが、現実的ではないと、これまで多くの研究者から無視されてきました。しかし、私はこの侏儒国を無視できません。私は侏儒國を沖縄だと考えています。「お前は沖縄に小人がいたと考えているのか」と、お𠮟りを受けそうですが、私も沖縄に小人が住んでいたとは考えていません。

 小人の話の元になったのは、インドネシア・フローレス島のフローレス原人(タイトル図)だと考えています。フローレス原人(ホモ・フローレシエンシス)は、インドネシアのフローレス島で発見された、絶滅種の小型のヒト属です。 身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいのですが、火や精巧な石器を使っていたと考えられています。彼らは、いまから約5万年前までは生存していたと考えられているので、南の島々から渡って来た我々のご先祖は、遠い過去にフローレス原人と遭遇している可能性があります。

 この時の強烈な印象が、小人の話の原型になったのかもしれません。沖縄の人々は小人の末裔ではありませんが、沖縄にはキジムナーという伝説上の生物(森の精霊?)がいます。キジムナーは、「体中が真っ赤な子供」、「赤髪の子供」、「赤い顔の子供」、「長髪で全身毛だらけ」の姿で現れると言われています。これらの伝説は、ご先祖様が遭遇したフローレス原人の印象なのかもしれません。侏儒国は、女王国を去る四千余里の場所ですから、沖縄だと丁度良い距離になり、方角もあっています。

 余計な話を挟みます。邪馬台国とは全く関係ありませんが、アイヌのコロポックル伝説も、遠いご先祖の「フローレス原人との遭遇の記憶」が基になっている可能性があると、私は考えています。

 最後に出てくるのは、裸國黒齒國です。裸國は裸族の国を表わしているので、おそらく、グアム島辺りの島だと考えられます。熱帯の島ですから、たぶん裸に近い生活をしていたことが予想できます。黒齒國は、お歯黒をしている部族の国だと解釈されていますが、私はそうは考えません。人々にお歯黒の風習があったかもしれませんが、浅黒い肌にお歯黒では、インパクトがありません。私が考えるのは、肌の色がもっと黒いメラネシアの人々が歯を出して笑った時の姿です。この方が、お歯黒よりインパクトがありそうです。つまり、黒齒はお歯黒ではなく、「黒い肌白い歯」を意味していると考えています。候補としては、ハワイ島もあるかもしれません。

 裸國と黒齒國の方角は、奄美大島から東南で、距離は船行一年です。さすがにこれだけの情報では、裸國と黒齒國を多くの島々からなるポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの島々から、特定することは困難です。ただし、空想を最大限に活用すれば、裸國はグアム島黒齒國はハワイ島などと考えることもできます。

 空想考古学では、倭国を「奄美大島を中心とした島嶼連合国」と考えています。この倭国の範囲は、北は種子島・屋久島南は与論島辺りまでだと考えています。そのように考えると、これまで不明とされていた『倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。』の意味がはっきりとしてきます。倭国は、本国を奄美大島(邪馬台国)とする南北五千里の広範囲の島嶼連合国だったと考えると、これまで未解決だった「周施五千余里」も解決します。

 下の図は、1532年に作成された世界地図『四海華夷總圖』です。この地図では、日本国の南に独立して描かれています。この地図が書かれたのは16世紀なので、時代的には邪馬台国の時代ではありません。しかし、少なくとも倭国が日本国とは異なると認識していた人々が中国には居たことがわかります。

わこく2


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