見出し画像

偉人の別の顔#2 名探偵・ニュートン

 アイザック・ニュートンは、17-18世紀に活躍したイングランドの自然哲学者・数学者・物理学者・天文学者・神学者です。説明するまでもありませんが、”リンゴの人”としても知られている超有名な偉人です。主な業績には、ニュートン力学の確立や微積分法の発見などがあります。

 ニュートンが、学位(博士号)を取得したころ、ロンドンではペスト(黒死病)が大流行していました。この影響で、大学も閉鎖されることになり、ニュートンは仕方なく故郷へと戻ります。この時、彼は自由に思考する”充分な”時間を使って、微分積分、光学、万有引力の法則を発見できたといわれています。後にニュートンは、この期間を”創造的休暇”と呼びました。今の世の中は、当時のヨーロッパと似たような環境ですが、ひょっとすると”未来のニュートン”が、大発見の準備をしているかもしれません。

 ニュートンは華々しい業績を上げて、大学での研究や教育に力を入れるのですが、さまざまな原因(コミュ力不足?)で周囲の人々との軋轢が生じました。大学での学究生活にうんざりしたニュートンは、大学から離れた実務世界で地位を得たいと考えるようになりました。そこで登場するのが、ニュートンの教え子で、世渡り上手のモンタギューです。

 当時、財務大臣だったモンタギューは、1696年にニュートンに王立造幣局監事のポストを紹介します。さらにニュートンは3年後の1699年には、王立造幣局長官に昇格します。モンタギューとしては、精神的に追い詰められていた師に、”お飾りの名誉職”としての地位に就かせたつもりだったのです。しかし、何を勘違いしたのか、ニュートンはモンタギューの思いを察することなく、仕事に邁進します。ここが、ニュートンの”空気が読めない”ところです。

 ニュートンは就任早々、当時問題になっていた通貨偽造人(偽札犯)の逮捕に成功します。ニュートンは、やると決めたら徹底してやります。部下の捜査員に変装用の服を与えるなどし、偽金製造シンジケートの親分ウィリアム・シャローナーを捕らえて裁判にかけ、死刑にしました。ニュートンが造幣局長官に在職している間は、偽金造りが激減したそうです。世間知らずの元・大学教授にしては、鮮やかな手並みでした。

 ニュートンは、造幣局勤務時代には給料と特別手当で2000ポンドを超える年収を得て、かなり裕福になったそうです。このお金をもとに、南海会社の株に1万ポンドの投資を行ないました。しかし、イギリス史上もっとも悪名高い投機ブーム(南海泡沫事件:イギリス版バブル崩壊?)に引っかかって、2万ポンドの大損をしたとされています。ニュートンには、ガウスほどの蓄財の才能は無かったみたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?