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私の”餅まき”遍歴

餅まきは、災いを払うために行われた神事である散餅銭の儀が、江戸時代に庶民に広まったとされています。もともとは、上棟式の時に大工の棟梁が主催して行う行事でしたが、いつからか施主が準備して行うようになったようです。餅まきは、建築中の建物の屋根の上で上棟式を終えた後、屋根から餅をまくのが一般的な形式です。餅以外に小銭をまくこともあるみたいです。

最近は滅多にお目にかかれませんが、田舎に住んでいた時には餅まきに参加していました。私の記憶にある最初の餅まきは、小学生になる前の4-5歳の時でした。さすがに記憶が曖昧ですが、祖父母の家を建て替えた時の棟上げだったと思います。その時は、大人に混じってウロチョロしていただけですが、運悪くまかれた餅が鼻を直撃して、鼻血を出してしまいました。しかし、私の母や親戚連中は「こんな低い鼻に餅が当たった」と大笑いでした。今なら幼児虐待です。

小学生時代は、近所で餅まきがあるという情報をつかむと、割と頻繁に参加していました。紅白の餅がタダでもらえるのと、落ちてきた餅を素早く拾うスリリングさが好きだったからです。小学生頃になると、餅を顔面でキャッチすることはありませんでした。

小学生最後の餅まきは、”餅をまく人”として参加しました。丁度、実家の新居が建築中で、その上棟式で餅をまくことになりました。今までは一般参加で、まかれた餅を拾う人でしたが、餅をまくことになるとは夢にも思いませんでした。頼り無くても一応、長男なので、父から「上棟式に参加しろ」と言われました。梯子で屋根に上るのも勇気がいりましたが、屋根の上からの景色はまんざらではありませんでした。

お祓いみたいな神事を済ませ、いよいよ本番の餅まきです。最初に四方餅といって、東西南北の4方向に、やや大きめの平べったい白餅をまきました。これが終わると、いよいよ餅まきが始まります。餅は紅白の丸型の小餅です。いまなら衛生面を考えて、個包装ですが、昔は包装無しの生の餅でした。また、赤い紐を通した5円玉や50円玉の小銭もまきました。自分がまいた餅に、下のみんなが群がるのは、ちょっと自分が偉くなったようで、なんとも良い気持ちでした。

中学・高校時代は、思春期ということもあり、恥ずかしさのためにしばらく餅まきからは遠ざかっていました。大学に入って地元を離れたので、「もう餅まきに参加することもないだようなぁ」と思っていたら、自転車で通う通学路で、懐かしい餅まきにたまたま遭遇しました。そこは地元じゃないので、知り合いもいません。私は自転車を降りて、思い切って餅まきに参加することにしました。

久しぶりの餅まきだったので、最初は戸惑いましたが、運よく餅が目の前にまかれたので、十数個は拾うことができました。この40年前の餅まきを最後に、餅まきからは遠ざかっています。またいつか参加したいな~。

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