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偉人の別の顔#5 浪費家・野口英世

 千円札の肖像で知られる野口英世は、世界で初めて『梅毒のスピロヘータ菌』の培養に成功した研究者です。ノーベル財団の古い資料によると、ノーベル賞の候補に数回ノミネートされたらしいです。 しかし、結果はご存知の通りです。 渡米後にアメリカで世界的な業績を上げた野口英世ですが、日本時代の”お金に関するクズっぷり”は結構有名です。浪費家の野口が、お札の肖像画になっていることは、ある意味で皮肉です。

 野口は、東北の貧乏な農家に生まれ、子供の時には囲炉裏での火傷で左手の指がくっついて使えなかったそうです。 しかし、周りの暖かい援助で、手術をして左手が使えるようになりました。 これが野口が医者を目指すキッカケになりました。 勉強の才能があったのと、努力の甲斐あって、野口は医術開業試験に合格します。 この試験は、1875年(明治8年)から1916年(大正5年)まで行われていた”医師の開業試験”で、学歴に関係なく受験することができました。 もちろん、この試験は今はありません。

 ”貧乏な人あるある”ですが、大金を持つと不安になって、そのお金を使ってしまいたい衝動に駆られる人がいます。 野口もこのタイプの人でした。 野口がお金に困ると、彼の能力と才能に惚れ込んだ人達が、お金を貸してくれます。 しかし、野口は遊郭や宴会などで一気に浪費してしまいます。これは度々ありました。一度などは、結婚の約束をした親御さんから結婚支度金をもらい、アメリカに逃げてしまいました。これは”結婚詐欺”も同然です。

 野口英世は、改名後の名前です。最初の名前は、野口清作といいました。そのキッカケは嘘のような本当の話です。野口は、面白いと評判の二葉亭四迷の小説を友人から借りました。その小説で、野口は衝撃を受けました。その小説に出てくる主人公・野々口清作は、”飲む・打つ・買う”のクズ野郎で、名前も含めて自分にそっくりだったからです。

 渡米後は人が変わったように、研究に集中します。たぶん、お金を貸してくれる奇特なアメリカ人がいなかったんでしょう。梅毒の次は、黄熱病の研究を始めました。当時、黄熱病は原因不明の病気でした。野口は、最終的にアフリカに派遣され、現・ガーナ共和国で黄熱病の研究に従事します。本人曰く、”黄熱病の原因菌を発見した”のですが、実は間違っていました。結局、野口は現地で黄熱病に罹って亡くなってしまいます。

 野口が務めていたロックフェラー研究所は、野口を「古今を通じて最大の細菌学者の1人」と称賛しています。しかし、黄熱病の原因は細菌ではなく、その時にはまだ性質がよくわかっていないウイルスでした。ウイルスは通常の光学顕微鏡では見えません。 病気の原因は様々あります。その当時、目に見える細菌の研究は進んでいましたが、目に見えないウイルスの研究は進んでいませんでした。残念ながら、研究対象は細菌からウイルスへと移り変わっていく過渡期でした。

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