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「犠牲」とは?

一般的に犠牲といえば、悲壮感漂うものをイメージするのですが、

私がマルセイユタロットを教わりにイシス学院に通っていたとき、

講師の大沼忠弘先生は、それとはまったく違う世界を教えてくださいました。


まず、聖書の中には、2つの犠牲に関するポイントがあります。

ひとつめは、子どもに恵まれず年老いたアブラハムが、やっと授かった息子イサクをモリヤ山の上で御供しなければならないという場面。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%87%94%E7%A5%AD

アブラハムが斧を振り上げたとき、天からストップがかかり、かわりの雄羊が捧げられることになりますが、

自分が捧げ物だと知っても、息子イサクは、それを受け入れたとされています。

もうひとつのポイントは、イエスキリストが十字架にかけられる場面。

この時も、イエスは自ら磔刑になる十字架を担いでシナイ山を昇ったとされており、

自らの運命を受け入れていたと言われています。

自分の命を捧げても惜しくないと思える生き方を示したのは、なにも聖書の中だけのことではなく、

日本でも戦時中に若者たちが、身を挺して敵に攻撃をした神風特攻隊をはじめ、硫黄島での死闘など、

多くの英霊たちが祖国と愛する家族のために、命を犠牲にすることを自ら選びました。

私がもしもアブラハムなら

私がもしもイサクなら

私がもしも明日、飛行機にのって2度と戻らないと知り祖国を旅立つまだ十代の青年だとしたら

戸惑うことなく、自ら犠牲になる!と決められるだけの精神性を支えていたものは、何だったのでしょうか。

明日は「終戦記念日」とされる日です。

その事に子どもの頃から何の違和感も持たずに大人になってしまいましたが、

Mr.都市伝説 関暁夫さんは、誰の何の記念日なんだ?と言います。

そんな風に疑問を投げ掛けてくれる人がいなければ、何とも思わないままだったと思います。

その関さんが合図を出しました。

2023年8月15日 オンラインライブ
日本の未来を考える人たちで集まろう!と。

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2344962


私は2021年5月から、関暁夫さんの立ち上げた情熱クラブのメンバーになっていて、

生身の関さんとも何度もお会いして、直接、お話も聞いてきました。

関さんは、決して答えを出しません。
自分で考えて、自分で決めて、自分で責任を持つこと、失敗してもいい、何度でも挑戦させてくれます。

都市伝説や関さんの話の考察をする方々もたくさんいますが、

とにかく、生身の関さんに会ってみる、仲間と力をあわせて成し遂げる経験をしてみてほしいです。

その活動の中で、犠牲ということの本当の意味するものや、それを支える精神性が見えてきます。

イエスキリストひとりが、十字架を背負って犠牲となった時代、周りにはなにも出来ない傍観者がたくさんいました。

でも、今はインターネットも監視カメラも発達して、傍観者ではいられない時代になりました。「他人事として傍観したり批判すること」が罪になる時代です。

何もわからないまま、不安でいるくらいなら、ひとつひとつ出来ることから、してみてほしい。

特にこれからの世の中を作る若者たちには、関さんの話をもっともっと聞いてほしいと思っています。

オンラインライブ、情熱クラブで、皆さんをお待ちしてます❣️

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