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ダメな自分を受け入れた話

昔々まだ子供だった頃、大人になれば何だってできるようになるもんだと思ってた。仕事が出来て、スナック菓子なんか食べなくなって、英語もペラペラに喋れて。大人ってそういうもんだと思ってた。

でも自分が大人になって分かったことは、仕事には忙殺されるし、スナック菓子はやめられないしとまらないこと。英語はろくすっぽ喋れないどろかビートルズの知らない歌もあった。実際に大人になってみて分かったことは、大人って、自分って、その程度のもんだと。

そんな風に割り切っていた割に、20代の頃は自分への期待があった。何者かになれるような夢を見ては、そのうちに何か起こるんじゃないかな?大きなプロジェクトに抜擢されたりとか?ヘッドハンティングされたりとか?外国人の恋人が出来て外国に住むことになったりとか?と、ありもしない夢物語に期待した。今考えると何てアホだったんだろうと思うけど、当時はどっかの誰かが何かしてくれると期待してたんだろう

どっかの誰かなんていない

何年か経って、自分で何とかするしかないと気が付いたのかどうなのか定かではないけど、何となく英語の勉強の始めた。きっとそこがターニングポイントだったんだろうと思う。そこから自分の人生は自分で責任を持とうと思うようになった。自分の人生は自分しか舵を切れないし、誰にも切ってほしくない。

ちなみに僕の場合、英語の勉強の歴史は恥ずかしさの歴史でもある。穴を掘ってでも入りたい気持ちになることはしばしばあったし、貝になってしまいたいと思うこともあった。でも最終的にはこれを乗り越えたらもう少し良くなるかもしれない、と思って勉強してきた。

ダメな自分を受け入れる

語学の勉強って不思議なもので、ダメな自分を受け入れざるを得ない。とはいえ、ダメな自分を受け入れるのは最初のうちは居心地が悪かった。なんだか「負けた」って気すらした。大人だから中途半端にプライドもあったからだろう。「これは出来なかったけど、こっちは出来たし」と出来たことを見て、出来ない事を見ないふりすることもあった

でも英語のレベルが中級くらいの時、なかなか英語が上達しなくなって、真剣にダメな自分と向き合うことにした。最初は自己嫌悪たらたらだったけど、次は意外と簡単になった。その次にはもっと簡単になった。過去の恥ずかしさは笑い話となり、「負けた」なんて思わなくなった。

実は当時は既に社内(当時は東京にある外資系企業に勤務していた)では「英語のできる人」として海外支社や本社に行ったりしてたけど、出来ていないことは自分が一番知っていた。だからもう恥なんて思わないで、周りの人に片っ端から質問して、日本にいる時も英語会議には全部呼んでもらったりして、色んなアドバイスを貰った。

そんな経験を繰り返し、繰り返して。今はデンマークで仕事を始めて4年目になりますが、今だって恥の歴史は絶賛更新中で、継続して英語は勉強しています。(デンマーク語の移民用の語学クラスにも通っていますが、その話はまた別の機会に)

次はきっと良くなる

結局、何が言いたいかというと、ダメな自分を受け止めると、そこから手を付けるべき問題が見えくるのかな、と思います。いつまでも素敵な自分ばかりにFocusしていると、問題点が見えなくなって”ただの鼻持ちならねーヤツ”というタイトルを獲得してしまいます。
ダメな自分を受け入れて、自分かっこ悪いなって諦めて、そこから分析して、次はもっと良くなる自分!と信じて向き合うことが重要かと思います

そして、他人はそこまで自分のことは気にしていないっていうのは気休めでも何でもなくて、本当に他人は自分のことを気にしていません。だから多少失敗しても意外と大丈夫かもしれませんね。


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