SDGsが嫌いだ。社会貢献活動を「事業」にする。
建築業界にもこの波が押し寄せている。
そうSDGs。猫も杓子もSDGs。これを見ない日はないというぐらいに私の周りにもわさわさと存在している。
SDGsが増やす無駄な作業
実は私、これが嫌いでならない。もちろん理念とか、一つ一つのゴールについては重要だと思うので、個人としても何らか取り組むし、むしろ広めていければ良い。なんなら前進のMDGsのときはかなり熱心にその活動に共感したのを覚えている。だけど企業が取ってつけたように自社のサービスと紐付けたあのマッピング図。あれが嫌なのだ。
まぁ嫌いでならないというのは言い過ぎで、別にそれ自体は悪さをするわけじゃないし、社会として良い「方向」に進むのであれば、それはそれは良いと思うのだけど、どう考えてもそれを作る無駄な残業時間が増える光景しか見えてこない状況がある。それが嫌なのだ。
SDGsを悪用?する小賢い人々
そもそもほとんどの企業はSDGsだからって、事業を変えたりはしてないわけで。あくまで既存のビジネスでSDGs的なものを探して、それを資料に落とし込む。もうそれは資料作りに長けた優秀サラリーマンの出番なわけです。
だったらSDGsをきちんと理解した上で、事業としてどう発展させるかに力を注ぎましょうよ。
そもそも企業自体は何らかの社会的価値を生み出すからそこにいるわけで、後付の理由を探さなければ生きていけない企業は、もういらないと思うんですがね。
しかも何が悲しいって、行政の資料にもこいつらが多く登場するという。もちろん旗振り役として重要なので、それを使っていくのは良いのだけど、なんだかなーと思うのです。
社会貢献を事業にする難しさ
ただそうでも言わないと社会貢献事業が日の目を見ないという状況があるというのは事実としてあるかもしれない。社会貢献の事業化の難しさである。今働いているところはかなり社会貢献度が高いところで、先日も一銭にもならない経営判断を代表がしていた。
実は経営に関するいくつかの部分で異なる意見を持っている自分ではあるが、この一銭にもならない経営判断には自分もハッとしたし、良い気付きになった。
ただ一銭にもならない事実はあるわけで、経営としてはどうなのかという問題は残る。強いて社長の落ち度があるとすれば、その判断の経緯や想いを従業員と共有しなかったこと。なんとなく自分は情報を見る機会はあったけど、正直説明が足りていない。せっかく良いコトしてるんだからアピールしないと。従業員が安月給で働く唯一の理由はそこなんだから。
逆を言えば、想いを語って共感(ボランティア)を募るぐらいしかならない分野があるということ。だから本当はこういう経営判断にこそSDGsの恩恵がほしい。
なんか書いていて最後はよくわからなくなってきたので、今日はこの辺にしときます。要は安月給だけど、頑張っているよという報告です。
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