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"女性だから"奢られるっての、やめます

ちょっとまだ頭が混乱して整理しきれていないのだけど、書いているうちにまとまってくるかも?と期待して、書いてみます。

昔からずっと気になっていたことのひとつに、女性はタダというのがある。
タダでなくとも、映画のレディースデイのように女性のみ割引になるサービスなんかが巷には溢れていた。私はなんで女性だから経済的負担が軽くなるのかの意味がよくわかっていなかった。でも、そういう慣習なのだと思い、(どこかで違和感を感じつつも)その利益を享受していた。

先日参加した飲み会で最後にお会計となった時、「女性陣の分は男性が払います!」と言われた。その場ではなんだか申し訳ないけどありがとうございますと言ってこれまで同様にご馳走になったけど、その後なんだかずっとモヤモヤしていた。その場は私より年上の男性が多く、私以外もう一人の女性も年下だった。仕事の関係で繋がった方々で、もう一人の女性は男性方と上司部下の関係でもあった。

ここ最近、社会課題に意識が向いてSDGsやESGに関心があり書物を読んだりイベントに参加したり、詳しい人に話を聞いたりしている。

日本はジェンダーギャップ指数が世界156カ国の120位、G7では最下位だ。政治や経済の分野でのスコアがとても低い。女性政治家や管理職に就く女性の比率の低さが問題となっていることなどを始め、ジェンダーギャップ問題はニュースなどでも最近とても話題になっていてよく聞く。

自分はどうだろう?
特に企業に所属しているわけでもなく、仕事も気の赴くままにしているのでジェンダーギャップを感じる場面は日常生活ではほぼない。収入も乱高下あるが、やる気になればそれなりの収入はある。収入がない時も、"女性だから"ということが理由ではないし、特に生活に困っているわけでもない。だから、上下関係のない方々に経済的理由でご馳走になる必然性がない。

今回のご馳走しますはジェンダーギャップではなく、"レディファースト"の一環や年齢が上の方が下の者に奢る慣習や気遣いだったのでは、と思う。
でも、私の中にモヤモヤが生じているということは、飲み会でのレディファーストや慣習は、私にはもう必要ないものかもしれないし、”女性陣”というサークルには入っていたくないのかもしれない。

私は私だ。性別云々や年齢での行動よりも、何か仕事でお世話になったとか、日頃のお礼とか、その時間がとても有益で満足して、そういう気持ちの表れで一個人としてご馳走するとかいうのが私は好きで気持ちがいい。

実際、調べてみたら国にもよるがヨーロッパではレディファーストはあるが、基本的には食事は割り勘らしい。(お高めのレストランでのディナーやデートなどは除く。)まぁ、でもここは日本だ、ってのはわかってる。

ちなみに、私は基本的にはレディファーストは大好きだ。男性がスッと手を出してお先にどうぞとか、手を貸してくれたりとか、重い荷物を持ってくれたり、なんてことは紳士としてのマナーとして美しいと思うし、女性を格下にみているのではなく、男性の品格があるからこそなせる技だと思っているし。マウンティングではなく対等な上でのコミュニケーションだ。しかもそういったものを親や学校でも教育する場面の少ない日本でできる男性は素晴らしいと思う。

まだ頭が混乱しているのだけど、ひとつ自分の中で出た答えとしては、もし今後

・"女性だから"ご馳走しますと言われた場合
・相手が仕事や友人関係などで対等でありたい場合
・特に相手に貸し借りない状態の時

こんな時は、「お気持ちはありがたく頂戴した上で、お支払いさせてください」と伝えて支払うことにしようと思う。
異性として意識する相手の場合や相手がお金を使いたい意図や目的や意向がわかる場合などはコミュニケーションのためにご馳走になることはあると思うけど、そうでない対等でありたい関係の時は、私はお金を出したいと思う。年齢バイアスもできる限り外していきたい。相手の年齢が上でも下でもご馳走する、されるくらいの関係性と余裕を培っていきたい、今はそんな気持ち。

ジェンダーギャップに関してはまだまだ知識も行動も足りてないと自覚しているので、今後も学びを続けてよりよい関係性づくりや社会課題解決に貢献できたらと思っています。


最後に…
今回の飲み会の場合は私以外にも女性がいて、上司部下などの関係などもあったのでご馳走しようというお気持ちを持たれたのは、ごく当たり前の感覚でとても理解できるもので否定する気持ちは一切ありません。このnoteにはおっしゃってくださった方を責める意図は全くなく、逆に自分に考える機会をいただき、感謝しているので、また今後もお付き合いいただきたいと思っています。

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