見出し画像

“友達”について考えてみた(あるうつ病患者の交友関係の記録と"薄いつながり"の大切さ)

※私のこれまでの記事では敬体(です・ます調)を用いているが、今回は文章のリズムを良くするために、常体(だ・である調)を用いている。今後は、特に明記することなく、記事によって使い分けていく予定。

惨憺たる私の交友関係【大学院~社会人】

私はもともと友達がかなり少ない方である。大学院を卒業した時点で、LINEの友達登録者数はちょうど50人(うち公式アカウントが20人なので実質は30人しかいない)。

当時の私と同年代の大学生や大学院生なら、3桁を超える人がそんなに珍しくない中では異例の少なさである。そこから実質連絡を取り合っている人という人はもっと限られた数になる。

大学院の研究室の同期(および先輩・後輩)とは在籍していた当時から仲が悪く(厳密に言うと仲良くしてくれた人もいたが)、なんだかんだいざこざがあって、1人を除いて今では連絡を取らなくなってしまった(その1人とも現在は連絡が疎になっている)。

これは結構ややこしくて、同期以外に仲の良い先輩・後輩はいたにはいたのだが、仲の良い先輩・後輩が仲良くしている(つるんでいる)奴と私の相性が致命的に悪く、その仲の良い先輩・後輩と付き合おうとすると自動的にその相性の悪い輩とも付き合わなければならないハメになる。結果、仲の良かった先輩・後輩とも疎遠になる。こういう流れである。

社会人になってからも同期というものは存在していたが、そんなに大きな会社ではなかったので、数は少なく、仲もそれほど良くはなかった。特に私と同じ職場で働いていた同期が“お山の大将”みたいな奴で、気に食わない奴がいると徹底的にいじめるというタチの悪い奴であった。

私はそのターゲットになってしまったのだ。きっかけは、同期が集まる食事会で私が全然喋らなかったことらしく(私の記憶では普通に会話していたつもりであった)、当時、そのお山の大将たる彼に「面白いこと一つも言わんなあ、お前。いる意味あんの?」と面と向かって言われたことを覚えている。

そこから、話しかけても明確に無視されたり、同期が集まる食事の機会でも私1人仲間外れにされたりするようになった。私と同じ職場(オフィス)で働いていたのは、そのお山の大将ともう一人女の子がいた。この女の子も典型的な勝ち馬に乗るタイプの方で、私が排除されるのを見ると、私になど一切見向きもしなくなった。

不幸中の幸い、同期以外によくしてくださった先輩方、上司等はいらっしゃったが、どうにも友達という距離感ではなく、やはり先輩は先輩、上司は上司であった。やはり同い年で気を遣う必要のない同期と同じというわけにはいかない。これは申し訳ないが仕方がない。

このように、うつ病を発症するきっかけの一つになったと言えるくらいには、社内での人間関係はハチャメチャに破綻していた。当然、うつを発症して退社後は、同期とは1人も連絡を取っていない。


うつをきっかけに破綻した交友関係

また、うつを発症してから壊れた関係というのもある。高校時代の友人が2人(これも少ない)いるのだが、そのうちの1人とは今でも関係は良好である。私の1番の親友と言っても良い。

問題はもう1人だ。こいつはもともと私が先の親友とつるんでいた所に割って入る形で(言い方は悪いが)付き合うようになった奴で、学校にいる間は常に一緒に行動し、学外でも一緒に遊ぶうちに仲良くなった。

最初のうちは良かったのだが、風向きが変わりだしたのは高校を卒業してからだ。私の親友はそのまま某国立大学に進学したのだが、私とこの友人は受験に失敗して浪人することになる。

その友人とは同じ予備校に通い、それぞれ違う大学を目指し始めたのだが、この辺りから先の親友含めた3人の集まりで、私に対してやたらと攻撃的な態度を取るようになった。

具体的には、私に対して何かしらマウントをとるような行為をしてくるようになったのである。私は政治に大変疎い人間なのだが、その私に対して政治の話題を振って意見を求めてくるようになったのだ。しかも会うたびに。

私が「自分は政治に詳しくないので、その問題には答えられないよ」と言うと、「高校を卒業しておいてこんなことも知らないなんて馬鹿だなあ」とか、とにかく私の言動1つ1つに対して「お前の言っていることは間違っているだの、阿呆だの」やたらと噛みついてくるようになったのだ。

これは、私の推察するところだが、彼にはコンプレックスがあったのではないかと思っている。

1つは予備校のクラス振り分け(予備校には入学時にクラス振り分けのためのテストがある)で、私が彼より学力的に1つ上のクラスに振り分けられたこと。

もう1つは、彼は高校時代には理系を志望していたが、予備校に入るとともにその道を諦めて文転したことである。

要するに、自分の志望していた道を学力の問題で諦めざるを得なくなったところに、順調そうに(傍から見ればそう映ったかもしれないが、実際はそうでもない)彼の進みたかった道を進む私の姿が見えて、目障りだったのだろう。

学力では私に勝てないものだから、何か他の分野で自分の勝てるものを探して知的にマウントを取って憂さ晴らしでもしたかったのだろうと私は見ている。

このようなことを会うたびに繰り返されて、当然私も気分が良くないものだから、会っても口を利くことは少なくなっていった。

親友を含めた3人で会ったときは、件の彼は私には一切話しかけず、親友の方にばかり話しかけているというのが当時よくあった光景である。

件の彼と私は別々の大学に進み、親友との3人の集まりも事実上破綻しながらも、年に数回は集まるといったことが学生の間は繰り返されていた。

彼は大学院の修士課程を修了した後、博士課程に進学し、私は会社員になった。それからもしばらくの間は何度か会って飯を食ったりする仲は続いていたのであった。

しかし、その後しばらく経って私がうつ病になってからというもの連絡がわかりやすくぱったりと途絶えてしまった(親友の方は変わらず連絡をよこしてくれ、体調の良い日には2人で遊んだりもした)。

彼と最後に会ったのは、社会人になってから初めての夏休みのころで、そのときは2人で会った。一緒に夕食を食べて、近況の話をしたりした。

飯を食べ終わって、さあそろそろ店を出ようかとなったとき、彼から「今持ち合わせがなくて近くにATMもないからすまんがここは払っておいてくれないか?自分の分は後で返すから」と言われ、仕方なく私が会計を全額もった。

しかし、会食が終わったのが夜遅かったものだから、使えるATMがなく、「仕方ないから次会ったときに返すわ、絶対な!」とだけ言われて別れた。

彼と会ったのはそれっきりである。その後、私がうつになって休職していることが親友経由で彼の耳に入ったのだろう。

たぶん、彼は私と縁を切るタイミングを探していたのだろう。前々から、疎ましかった私との関係をなかったものにできるタイミングを今か今かと伺っていたのだろう。私が窮地に陥っている今がそのタイミングだと判断したんじゃないかと私は思っている。

もともとからして、そんなに強固な関係を築けていなかった(学生時代から関係に亀裂は入っていた)ということなのだろうが、このようにしてうつをきっかけに私の数少ない交友関係の1つは消滅した。


私の交友関係の現状

このようなこともあって現在私が連絡を取り続けている友人は、小学校の同級生が2 人、中学校の同級生が3人(件の親友はここに含まれる)、高校の同級生は0人、大学以降がかろうじて1人の計6人ということになる。

こうしてみると、高校以降の友人がほぼ全滅である。過去の遺産で今も生きているということになる。今も友達でいてくれる人たちには感謝である。

社会人になるとわかるが、利害関係の絡まない友達というのはほとんどの場合を除いて学生時代にしか作れない。大人になってからできる“友達”は、必ずといって良いほど利害が絡む(互いに何かしらのメリットを提供し続けなければ関係は続かない)。だから、学生時代からの友人は本当に貴重である。大事にしたい。


大人になってからの友人の作り方とネット(SNS)を通した“薄いつながり”構築の大切さ

大人になってからも、数少ない利害の絡まない友人を作る方法もあるにはある。例えば、趣味のサークルなんかがそうだ。

同じ趣味のものたちは、趣味について語り合うだけで、同じイベントに参加するだけで楽しい。要するに、会ってお互いに趣味について喋るだけで、互いに楽しいというメリットを提供しあうことができる。

他には、SNSを使った交友関係の構築という方法もある。私が知る限りでは、SNS経由で友達ができたり、中にはSNSがきっかけで結婚した人もいる。

私はTwitterをやっていて、そこで仲良くさせてもらっている方と一度オフラインでお話させていただいたことがある(いわゆる“オフ会”というやつ)。知性に溢れるとても感じの良い方であった。

最初に会った方が良い方だったおかげか、ネット(SNS)を通じた出会いも悪くないものだなと思うようになった。

実際のコミュニケーションでは、とくにまだ関係が浅い段階で、自分の思想や価値観、コアな趣味のような深いところまで明らかにすることはほとんどしない。

会って仲良くなっていく過程でそういったものを知っていくパターンがほとんどである。その価値観等の擦り合わせの段階で、「思っていたのと全然違う!」とか、「こいつの価値観、許せんな…」などと思う一面が出てきたりして、そこで人間関係がハチャメチャに壊れるということがあったりする。皆さんも経験がおありだろう。

一方で、Twitterなどでは、主に匿名でその人の思想や価値観が垂れ流しになっている場合も多い。そのような場で、「この人の言ってること面白いなあ」とか、「共感できるなあ」と思える人とは、思想や価値観の面でもマッチしていることが多いのではないかと私は思っている。

また、実際に会うまでは至らなくてもTwitter上だけで仲良くしてもらっているような、いわゆる“薄いつながり”というのは、今後生きていく上で重要になってくるかもしれない。

自分のつぶやきを世界のどこかで誰かが見ていて、自分が困ったときにいつ誰が助けてくれるかわからないからだ。

実際に(これは少数派だとは思うが)Twitter上でAmazonの欲しいものリストを公開し、そこから送られてくる物資で生活をしているという人を見たことがある。

そこまで行かなくても、日常の些細なことをお喋りしたり、悩みを相談したり聞いてもらったりして、“薄いつながり”を構築している人はこの記事を見ている人の中にもいらっしゃると思う。

このような薄いつながりをたくさん持っておけば、どこかで実際に仲良くしてくれる(深いつながりになる)方もいるかもしれないし、何かあったときに助力してくれる人にも出会えるかもしれない。

何より先にも述べたように思想や価値観、性格、コアな趣味などのマッチングが実際に会う前に図れるというのは大きなメリットである。

これからは、実際の厚いつながりをもつことももちろん大事だが(これを多数もっているのが理想的なのかもしれないが)、それ以上に薄いつながりをたくさんもっていることの方に価値がでてくるかもしれないなあなどと思う。


最後に

そして、ここで書いた関係の途切れた人たちについて、この記事の中では“彼らが悪い”というような書き方をしてしまったかもしれない。

しかし、人間関係というのは、というか、だいたいのトラブルがそうであるが、トラブルが起こった場合、どちらか一方が100%悪いといったことはほとんど存在しない。主たる原因がどちらかにあったとしても、もう一方にも必ず悪いところがある。

そういう意味で、私の価値観がもっと柔軟で価値観の異なる他者を優しく受け入れられていれば、私がもっと周囲のことに気を配ってコミュニケーションを盛り上げる努力をしていれば、私がもっと寛容で会うたびに私にマウントを取ってくる友人と張り合わずにいなすことができていれば、私は今もっと多くの友人に恵まれていたのかもしれない。そこは私の至らないところである。これから精進していきたい。


以上が、現在の私の交友関係が出来上がるまでの過程と現状、そして交友関係の構築に対する私の考えである。

私自身、まったく社交的な人間ではなく、友人を得るのに大変苦労した(そして維持するのも大変だった)し、その結果、できた友人の数も決して多いとは言えない。

ただ、私はこれまで(社会性に欠ける私と)友人でいてくれた人たちに感謝し、彼らとこれからも友人でいたいと思う。

そして、大人になった今でも友人を増やすことを諦めてはいない。今は難しいが、もう少し元気がでてきたら、様々なサークルあるいは趣味の活動に参加したり、ネット上での交友関係も広げてみたいと思っている。

たとえ、薄いつながりであっても、それを自分が疲れない範囲で大切にしていきたい。そう思っている。

ご支援ありがとうございます。また見にきてくださるとうれしいです。頂戴したお金は大切に使わせていただきます。