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わたしは他人の2/3の速度で成長する

わたしは心身の成長が他者より遅い。
小学生や中学生のころなんかは身体の成長が特に遅いなあ……ということだけを感じていたが、成人して自分のことをある程度客観視できる年齢になって、これは身体だけの問題ではない!ということに気づき始めた。

大学生になってすぐくらいのころに、自分と仲良くしてくれる人(◯◯)ができた。その◯◯とは大学に入ってから最初のオリエンテーションで名簿順に指定された座席に座って話を聞いていたところ、たまたまわたしの真ん前の席に座ったので、勇気を出して声をかけてみたところ、馬が合って仲良くなることができた。

その後も、一緒に授業を受けたり、履修登録の相談をしたり、課題を解いたりしていたが、いつものように学食で飯を食っていたとき、私はこんなことを口走ってしまった。「◯◯、今日はよく食べるなあ!もしかして自腹?」そういうと、◯◯はこう答えた。「え……?いつも自腹やで」。

◯◯は一度大学を卒業し社会人になったあと、メンタルの問題で退職し、再び大学に入学したという経緯があるということをそのとき知らされた。家があまり裕福ではないため、学資は自分でアルバイトをして稼ぎ、学費を減免してもらうために成績優秀者に入ろうと懸命に勉学に励んでいた(実際に学業も優秀であった)。一方、当時、アルバイトすらろくにしておらず、学資も食費もなにもかも親に支払ってもらっていた私はいかに自分が世間知らずな人間であるかを知って恥ずかしくなった。

他人の金で大学に行き、しかも毎日をサークルに入るでもなく、趣味に打ち込むでもなく、アルバイトで稼ぐでもなく、勉学に真面目に取り組むでもなく、ただぼーっと大学と自宅を往復して、無為に20代の若い時間を浪費していた私がなんだかひどく幼い人物であるように思えて、とてもつらくなったのを覚えている。

当時、私は20歳くらい、◯◯はアラサーという10歳くらい歳の離れた間柄ではあったが、◯◯がすごく立派な大人に見えた。学部の4年間はキャンパス内で◯◯と行動をともにすることが多かったのだが、ひとつひとつの所作が大人であった。学資を自分で稼いでいるところ、成績優秀者になろうと勉学に励んでいるところ、授業中騒がしい奴らにピシャリと注意をするところ、異性に対する気の遣い方、話の引き出しの多さ、誰とでも仲良くできる社交性、他人の良いところを見つけてすぐ褒めるところ、あるいはある日食堂で食べていたサンマの食べ方が異様に綺麗であったこと(彼に「なんでそんなに食べ方綺麗なの?」と尋ねたら、「僕は瀬戸内の男だからね」と答えていた。その答えすらとても軽妙洒脱であった)。

いま、私は当時の彼と同じくらいの歳になった。会社をメンタルの問題でドロップアウトし、そのままひきこもりルートに突入して幾年かが経つばかりで、そのときの彼ほど立派な人物にはまるでなれていないが、いくらかは精神的な成長を見せている。

とりわけコミュニケーションの取り方は20歳の頃より幾分上手になった。他者の意見を尊重し、かつ自分の主張も述べるということができるようになった。病気を患ったこともあってか、世の中にはいろんな立場の人がいることに想像を働かせることもできるようになった。家事もいくらかできるようになったし、他人の相談事に乗ったり、利他的な行動を選択することも増えた。専門的な知識は大学在籍時より減ったが、その分専門外の知識は増えた。

相変わらず、金銭の面では家族に頼りっぱなしではあるが、精神的にはずいぶんと成長した。いま、30を少し過ぎたあたりであるが、自分の精神年齢はようやく20歳に到達したという感がある。やっと大学に〈入学〉した。わたしと同世代の周りの多くは現在結婚し、所帯をもっている者もいる。話の内容は専ら車や子育て、住宅ローンや投資について、である。私みたいに日常であった面白い話や美味しいものを食べた話、どこそこへ旅に行った話、美術館で素晴らしい絵を観た話などはほとんどしなくなった。

皆は30、私は20ということで話が噛み合わず、もどかしい思いをすることもたびたびあるが、このこともプラスに捉えたい。私は30にして大人の人生を始めることができたのだ。これから大人の感性で生きていくことが楽しみでしょうがない。毎日つらいこと/苦しいことだらけで、生きていたくないと思うことはしばしばだが、それはそれとして(病気なんだからそういうもんだ)、人生を瑞々しい感性で、周囲の同世代よりも敏感な感受性で生きていくことができるのはそう悪いことではない、と考えている。

もう退職してしまったので今は関わりがないが、そのときの上司から会社を辞めるときにいただいた言葉がある。

△△(私)くん、優れた技術者になろうと思ったら、その集団の中で最も敏感な人にならないといけないよ。いちばん感度の高いアンテナをもっていないといけない。誰よりも新しいことに強く反応し、それを周囲に還元すること。そうすれば君を認めてくれる人はかならずいる。

この言葉は今でも私の胸の中にだいじに仕舞ってある。私は集団の中で最も感度の高いアンテナを張り続けたい。

了.

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