文章をたくさん書けるのは文章が得意だからではない、なぜか?
結論からいうと、「自分で書けるレベルの文章しか書いていないから」(良い意味で捉えるなら「背伸び」していないから)である。
私は文章を人より(分量だけは)たくさん書けるらしい。執筆速度はピークだった2020年~2021年より下がったが、2,000字~3,000字/h程度の速度で文章を書くことができ、しかもそれを長く続けることがそんなに苦ではない(決して楽しくはない)。まだまだ学識が浅いため書けるジャンルなどが限られるものの、1日に2-3万字の文章であればスラスラと書くことができる。
(と言いながら、2021~2022の間はほぼ文章を書けていない。<変な気負い>があったからというのもひとつの原因だったと思う)
これって良いことなのかなあ……?最近特に強く思うようになった。冒頭で結論を述べたが、「スラスラと文章が書ける」のは「自分の能力を逸脱したレベルの高い文章を書こうと気負っていない」からである。テキトーにその場の勢いで書いているともいえる。最近では、即興作文なる取り組みも始めた。これは人から与えられた、ないしはその場で目に入ったワードをお題に制限時間1時間で文章を書くという一種のトレーニングであり、これがいつまで続くかは私にもわからないが(すぐ終わってしまう可能性もある)、このトレーニングでやってることがフツーになってしまえば、たぶんもうネタに困ることはないだろう。だって、瞬時に目に入ったワードからテキトーに文章を生成する「装置」になれるのだから。
これで心配なのが、この書き方を続けることで、私の文章力の成長がサチレート(飽和)してないか……?ということである。自分の能力の範囲を逸脱したレベルの高い文章を書かないということは、むずかしい、深い学識や練り上げた 思考を要する文章を書く力が全然育たないのではないかと思っているし、たぶん実際そうなっている。私には今のところむずかしい文章は書けない。
けれども、続けることにも意味があるのだと最近思い始めた。ストックしておけばその中から質の高いモノを選べるからである。私は私のことを何か万能超人であると勘違いしていたようだ。百発百中で100点のおもろい文章が書けるはずがない。いいとこ60~70点のときどき80点、下手をこいたら20~30点の塵文章を生成してしまうレベルの書き手だ。だから、数を打たないと当たらない(80点も出ない)。
あとは続けることそのものがその人の実力を示す尺度になる。というところがある。勿論、商業出版の雑誌など、価値の高い場所とこのブログのように価値の低い場所というのがあるのだが、それでも「○○という場所で文章をN年間書いていました」とかいうと、聞く人は「なるほど。この人はそれなりに文章が書ける人なのだな」と判断するだろう。
先日、興味深い動画をYouTubeで観た。
『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』や『星のカービィ』シリーズを生んだゲームクリエイター桜井政博さんの『なぜコラムを続けられたのか【仕事の姿勢】』というタイトルの動画だ。その中で桜井さんはファミ通でのコラムの連載が18年9ヶ月(640話)も続いたことに対してこんなことを言っていた。
今、私が考えていることとバッチリ合致していた。個人的に大事だと思われる箇所を太字にした。
アウトプット(特に書くこと)が苦にならないという性質については、私も桜井さんと近い。なぜだかわからないが文章を書いている間は勝手に作業にのめり込み、感情が無になっていることが多い。
加えて、最近はいかにローコスト(時間なりエネルギーなり)で文章を生産できるようにするかということを考えている。現在、詩を書いたり、即興で文章を書いているが、これは自身の文章の幅を広げるためのトレーニングであるとともに、ローコストで文章を生産する方法を体得しようという狙いも含んだ取り組みである。詩にしても、即興作文にしても1本の記事を書くのに1時間前後しかかけていない。少ない分量(だいたい原稿用紙5枚=2,000字以内)の中にいかに内容を詰め込むかという練習をしている。
気負わない、これに関しては私は桜井さんほどビッグな存在ではないので、よくわからない。ただ前ほどは「上手な文章を書こう」「人に見せられる文章を書こう」とは思わなくなった気がする。これも一種の気負いであるから、それがなくなったという意味では継続しやすい状態になれているのかな?と思っている。この文章の冒頭で述べた結論(自分が文章をたくさん書けるのは「自分で書けるレベルの文章しか書いていないから」(良い意味で捉えるなら「背伸び」していないから)である)通りである。
桜井さんの最後の一言、『義務ではなく楽しめるようにしなければ』というのは、私も会社員時代に上司から口を酸っぱくして言われたことばであるし、激しく首肯する。
書かなければならないとか変に気負うとマジで逆に書けなくなる。
即興作文のときもお題を振られて、しかも制限時間が1時間と決まっているから、「速く書かなきゃ……!」という思いに支配されそうになるんだけれども、3回くらいやってみて「意外と時間に余裕あるな。書けるな」ってことに気づいてからというものの、最初の10分くらいは、お題についてのんびりとアタマの中でマインドマップ(連想ゲームみたいなやつ)のようなモノを描くことに使ったりしている。
どんな状況でもそのくらい肩の力を抜いて書けたらいいな、と思う。今思うと、即興作文は締切のプレッシャーに耐える(というか躱す)練習みたいなとこがあるな……。暖簾に腕押し?柳に風?みたいな感じでやっていきたい。
※とはいえ、たぶん桜井さんが気負わずに文章を書き続けられたのは、「自分の知識・能力のレベルをはみ出ない範囲で文章を書いていたから」で、それはつまり、「能力が高ければ高いほど(知識が深ければ深いほど)、気負わず書ける(書き続けられる)文章の範囲が広くなる」ということなので、やはり己の学識や経験の研鑽・蓄積というのは、(当然ながら)大事であると改めて感じさせられた。
この文章も、だいたい1hくらいで完成~!✌️