見出し画像

祭り写真家になるまで

デン真のプロフィール
1966年、愛知県常滑市に生まれる
1986年、東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業
1990年頃から旅行社のパンフ写真の撮影を多く手がけ、全国の風景を撮影するようになる。1992年、名古屋にて個展開催(風景写真)
 1999年頃まで写真撮影はフィルムカメラで行っておりましたが、2000年以降はいずれデジタルカメラにすべて移行すると考えフィルムカメラでの作品撮影に疑問を感じるが、当時のデジタルカメラのスペックには不満があったため、作品の撮影活動を一時中断してしまう。今思えば、間違った判断だった。これにより空白の10年間が生じる。作品撮影を再開するのは2011年、たまたまカメラを持って訪れた熱田神宮で祭りを行っていて、そこで撮影した祭りに大きな感動を受け、熱田神宮を題材に作品を撮りたいと考え、以後頻繁に撮影に行くようになり、この撮影をきっかけに、地元の祭りを撮ってくれないかと誘いを受け、撮影に出かけるようにもなりました。
 私の故郷は常滑市大野、山車祭りが行われる町です。しかも私の育った家は山車がからくり奉納をする広場のそばにあり、子供の頃はからくり奉納を2階から見物していました。祭りの会場でよく見る「あの家の人、いい場所から見物できていいね」と言われることがよくありますが、その「あの家」で育ちました。さらに偶然は重なるもので、私の母の実家は半田市亀崎。こちらも山車祭りが行われる町でした。今は同じ日に行われていますが、当時は5月3、4日が亀崎、5日が大野の祭りでしたので、3日に亀崎、5日に大野と、2つの祭りを見物するのが私のゴールデンウィークでした。しかも常滑市と半田市がある知多半島は山車祭りがとても盛んな地域でしたので、こういう祭りは全国どこでもあるものだと思っていました。高校生になってカメラを持つようになると、雑誌の月例コンテストに祭りの写真を応募して賞をもらったこともありましたが、進学で東京に移ると私の中で祭りは離れていきました。今思えば、熱田神宮でたまたま出会った祭りは、私の運命を大きく変えるものだったのでしょう。
 もうひとつ、大きな転機を私にもたらしたのが、2011年3月の東日本大震災でした。あの震災以降、地域の伝統文化が失われていく姿を目にして、写真家が地域の文化や景観を写真に撮ることには大きな社会的意義があると確信しました。では私に何ができるか、私は何を撮るべきか、考えて出した答えが祭りでした。ここから、私の祭り写真家としての活動は始まりました。このとき年齢は45歳、スタートは遅いですが、私が尊敬した偉大な風景写真家、前田真三が活動を始めたのも45歳、何かの偶然か、私に確信めいたものを与えるには十分な「たまたまの偶然」でした。

おことわり
引用の範疇を超えての、写真の無断複製コピーは固く禁じます。引用する場合は作者名と、この記事へのリンクを必ず明示してください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?