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【未来に残したい愛知の祭り】 尾張の虫送り

怨霊信仰、その字の表す語感から感じるのは怪しいものかもしれません。日本の歴史を振り返ると、怨霊が信仰の対象になった例はいくつもあり、有名なところでは西では菅原道真、東では平将門でしょうか。非業の死を遂げた彼らが死後、怨霊となって災いをもたらしたと信じられたところから、その霊を祀り上げて災いから逃れようと願うもの、これが日本における怨霊信仰の形です。虫送りは全国各地で行われていたとされますが、現在はとても数少なくなり、尾張地方では稲沢市祖父江地区と常滑市矢田地区に残るのみです。

矢田地区のうんか送り
祖父江地区の虫送り


今回紹介する尾張の虫送りは、どちらも実盛人形を祀って供養をする形をとっています。どちらも、うんか虫という稲の害虫を退治する意味を持つ行事です。この行事は親しみを込めて実盛さんとも呼ばれることが多いのですが、では実盛さんとはどういう人だったのか紐解くと、この行事の意味が見えてきます。

祖父江地区の虫送り


昔、源平の争った平安時代末期、斉藤実盛という平氏方の優れた武将がおりました。しかし、斎藤実盛は戦場で非業の死を迎えてしまうのですが、それは乗っていた馬が稲の切り株に脚を取られて転んでしまい、そこを討ち取られてしまったのです。この話が元になって、稲を恨んでいる斎藤実盛は稲を食い荒らすうんか虫に化けて出てくるといわれ、斉藤実盛を祀って供養すれば、うんか虫は出てこなくなると信じられるようになりました。そうして始まったのが虫送りです。
自然の中に神の力を感じてきた日本人、このように怨霊と自然災害を結びつけて、怨霊を祀ることで息災を祈願する習慣を続けてきました。あらゆる自然現象が科学の進歩により、詳細なメカニズムまで解明された現代においては怨霊信仰は忘れ去られつつある風習ですが、抗えない自然災害に、怨霊の姿を見いだし、自然を畏敬し、怨霊を祀ってきた我々のご先祖の精神性が、祭り文化を育み、日本の伝統を作り上げてきた、ということなのでしょう。


現在、制作中の愛知の祭り写真集は2023年5月の出版を予定しています。そして10月下旬から、この写真集を全小中学校に寄付するクラウドファンディングを企画しております。こちらのFBページで進捗を随時発信します。

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