#47 「生きるのが恐い」という人は専ら幸せな事である
タイトルにある「死𓏸のが恐い(辛い)」という人は対して恐くないのだと思う。
本当に恐いのは「生きるのが恐い(辛い)」という人だ。
寝ようとベッドに横たわっていた所に親父が仕事から帰ってくるや否や息子の部屋をノックしてから約2時間に渡る過去の同じ話を何度も腐るほどの説教、大学時代のブラック教師からの差別によるアカデミック・ハラスメント(アカハラ)から「自分はこの世界で生きている価値が一体有るのだろうか?」と後者の恐怖心を何度も味わった事がある。
その点、「死𓏸のが恐い」という人は今の自分を無くしたくないという満足感から来る恐怖心である為、それほど恐くない。
いつかは人間というものは寿命が尽きたら自分という存在はこの世からデリートされてしまうが、命が絶えてしまうのは生きている中で誰しもがその考えを通過するであろう幸福感の「恐さ」であると言える。
両者の意見を経験しており、共感し得る部分はあるが、結論としては実体験から前者の恐さは幸せによるもので後者の恐さは誰かから追われている本当の意味の「恐さ」があると考える。
「恐さ(辛さ)」に対して闘っていくのか、どう立ち向かうかを熟考し、自分なりの考えを体現し、自分が地道に努力してきた事が周りから評価されるその時こそ、それらの恐さから逃れ、解き放され、そして報われる瞬間であると考えている。
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