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安曇野アートライン「碌山美術館」「高橋節郎記念美術館」

南の安曇野市から北の白馬村に至る約50㎞は「安曇野アートライン」と呼ばれ、多くのミュージアムやギャラリーが林立している。「ぶらり」と入り、その土地を訪れなければ知りえなかったアーチストや作品に出会えるのが旅の良さ。レンタサイクルを借りて道祖神めぐりというのも安曇野の楽しみ方だが、還暦すぎ、持病持ちのジジババはクルマが頼りの美術館めぐりをする。

「安曇野高橋節郎記念美術館」

安曇野に生まれ、漆工芸の第一人者として名声を博し、2007年に他界した高橋節郎氏の記念美術館。漆はとんと不案内だが、妻のリクエストで訪れる。安曇野の風景からイマジネートされた作品が多い。美しく幻想的な世界が黒を基調にのびのびと描かれている。

展示室前の作品「星空交響詩」これは撮影可能。

展示棟を出ると高橋節郎氏が少年期を過ごした茅葺の住宅(国登録有形文化財)と3つの蔵からなる庭園があり、秋には美しい紅葉が楽しめる。ちらほらと若い人が訪れて静かに作品や庭を眺めている、いい風景。初秋の風が心にやさしい。安曇野に来て最初の訪問場所としては、なかなかにいいチョイスだったと思う。

高橋節郎美術館の庭。右が文化財の住宅。

「碌山美術館」

高橋節郎記念美術館からほど近いところにある。キリスト教会堂を思わせる建物で安曇野のシンボル的存在になっている。碌山とは「東洋のロダン」とも言われた明治期の彫刻家・荻原守衛の号。彫刻はどうも苦手なのだが、安曇野に来たからには一度位は、と足を運ぶ。荻原守衛もこの安曇野が生んだ芸術家である。

碌山美術館・碌山館。

敷地内にはシンボリックな碌山館をはじめ2つの展示棟、杜江館、グズベリーハウス、ミュージアムショップなどがあり、庭を回遊するようにそれぞれを見て回るようになっている。なかなかに見ごたえはあるのだが、やはり苦手なこのジャンル、関心が向かったのは荻原守衛という人の生涯。単身渡米、渡仏しての絵画修行、「考える人」に衝撃を受け彫刻に転じる20代の多くを海外を転々とし、29歳で帰国。アトリエを構えた新宿での憧れの女性への恋慕と煩悶、30歳で訪れる突然の死。長く患っていた疥癬の薬に含まれていたヒ素が原因ともいわれる。時代は違えど先の高橋節郎氏とはあまりにもかけ離れた「ザ・夭折」のような人生。突然のスコールに、館の方が傘を持ってきてくれる。ありがたき。

美術館入り口にある。「労働者」の像。煙草をくわえながら原稿に向かっているというような「ろうどうしゃ」は古くから彫刻の題材にはなりえないのであった。





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