【人生はネタだらけ】乳がん発見から手術入院直前まで
手術の日程が決まったので『乳がん発見から手術入院前まで』の流れを個人的メモしておくことにします。
個人的な記録として残しておくものであって、すべての乳がんが同じような経緯をたどるとは限りません。
8/22 疑わしい新シコリ発見
かかりつけの乳腺外来クリニックを毎年の良性腫瘍の定期検診のため訪れました。「マンモグラフィー→エコー→触診」の最後の触診で見つかったシコリが怪しいと、針生検(シコリ部分に針を刺して細胞をとり検査する)にまわすことになりました。
検査結果が出るのに10日はかかるということで、受診予約をして帰宅。
父方の祖母が『すい臓がん』になったことを帰路で思い出してました。
9/4 検査結果は『浸潤ガン』
案の定というか、気持ちの準備はしていたので、検査結果の紙を見せられて乳がんを告知された私は「あー、そうですか」と淡々と答えていました。その場で手術する病院に紹介状を書いてもらうことになるまでの間、看護士さんが私の斜めの後ろに控えてくれてました。(その場でショックを受け倒れちゃう人もおられるようです。)
乳腺外科のある総合病院を選択し、その予約方法を教えてもらい帰宅。専門外来らしく「乳がんの心得」のようなA5サイズの読本があって、診断書+画像データCD-ROM+針生検の検体と一緒に持たされました。
加入している医療保険をチェック
早期の乳がんを告知され手術が確定した私がまず最初にとった行動は、加入している保険の確認でした。「たしか入院費用やガン一時金が出るハズ」と思いながら、保険証券と毎年贈られてくる加入状況案内状を家内捜索(笑)
不幸中の幸い、手術に関する費用としばらくの通院費用は給付金でカバーできそうです。
9/7 手術予定の総合病院 初診+検査
予約専用の電話を30回かけても話し中だったのですが、つながった電話で「明後日9時半なら外来あいてます」と伝えられ、すぐに予約をしました。かかりつけ乳腺外来の医師からは「早期:レベル1」と聞かされていましたが、さっさと動きたい気持ちが強かったです。
血液検査
心電図検査
胸部X線検査
エコー検査(再度、同病院でリンパ節も含めてエコー検査)
当日、予約の時間を1時間過ぎて受診。かなりゆっくりな口調の担当医師から病状と今後の説明を受け、追加で手術に向けた基礎的な上記検査を受けるように指示がありました。同病院のMRI検査は予約がいっぱいだとかで、検査を主にしている検査センターの予約をして病院をあとにしました。
具体的なことがもっと進むのかと思いましたが、一定の情報が整わないと手術の方針が決められないとのことでした。
家族への説明
まず同居する息子に「私、乳がん見つかった。今度手術することになったわ」と告げました。確かこれから出かけようというタイミングだったかと…
息子はちょっと驚いた顔をした後「手術っていつ頃?」と尋ねてきたので、「まだ決まってない、決まったら立会いとか保証人とかお願いするかも。」と私は回答。「決まったらまた教えて」と言い、出かけていきました。
9/14 MRI検査
検査センターに出かけて行き、MRI検査を順調に…いくはずですが、造影剤が投入された直後、心拍が一瞬40を割り、息苦しく冷や汗が上半身にブワッと出た状態となったため検査は中断。特定の造影剤アレルギー判定をくだされてしまいました。情報が不十分な状態でMRI検査は終了しました。
息子、祖父より注意(?)を受ける
この場合の「祖父」は、私の実の父です。Facebook友人になっている母が、私の「乳がん(ステージ1)告知を受けた」投稿を父に報告したようで、父から「大丈夫かー」という電話が。私も息子もあまりにもあっけらかんとしているので、「甘く見てたらイカンのだよ!そう言われて2年後ぐらいに亡くなった親戚も…」と続け、私の息子には「お母さんの面倒をちゃんと見てやってくれな、なんかあったらジィちゃんも行くから」と。
一瞬「2年で亡くなった」の言葉に、「え?そうなの?」と息子が私の顔を見たので「乳がんでも色々あるから可能性がゼロじゃないという話」と私から回答した。
祖父との電話を切った後、息子は「おじいちゃんって、車で来るんかな…」と不安そうな顔。夏の帰省で祖父の運転に懲りた息子は「おじいちゃんとおばあちゃんには退院した後に無事を知らせる」という密約を私と交わしたのでした。
9/27 二つ目の疑わしいシコリ発見
検査結果を聞きに2度目の総合病院を訪れました。MRI検査は検査として情報不十分。リンパ節のガン検査は手術の時に確認することになりました。
一方、総合病院初診時の再エコーで、2cm程度離れてもう一つガンらしいものが見つかったとのこと。エコー画像を見ると、一つ目のガンとよく似ている形でさらに小さいシコリが写っています。2回目の針生検に回すことになりました。
このタイミングで担当医からは「全摘を推奨する」と告げられます。部分切除で済むと思っていた私は少々ビビってしまい、二つ目の検査結果を確認してから判断したいと担当医に伝えて帰宅しました。
保険の指定代理請求人を息子に
実の父母はともにover80歳で、保険について頭が回るような感じではなくなってきました。成人年齢が引き下げられたことで、息子のみでも、給付金の指定代理請求人や生命保険の受取人として設定できるため、各保険会社のホームページやフリーダイヤルから手続きを進めました。(保険会社によって微妙に手続きが異なるため面倒でした。)
10/5 全摘決定と手術日程調整
上司を含め会社にガンであることを伝える
所属するグループリーダーにはMRI検査でお休みもらう時に軽く伝えてありました。人事権のある部長にはこのタイミングで確実に有給休暇をもらう期間を伝えました。人事課長からは傷病お見舞い金の申請ができるkintoneアプリのURLが送られてきました。
男性の方がこういう場合、心配性というか…怖がりというか…女性の方が落ち着いている気がします。身近な例の有無や経験など差もコメントに現れるようです。
入院時の持ち物準備をはじめる
少し長めの旅行のつもりで準備するとちょうどいいのですが、旅行と異なることは、「前開きのパジャマ」と「術後に使う下着」の準備でした。マタニティの下着を流用する人が多そうですが、もうすでに私は当時のものを断捨離していたので、数点新しく買いそろえ一度洗濯後テスト着用してみました。ホールドするタイプのブラジャーなどは術後の傷口にあたると痛いそうで、ワイヤー入りで寄せて上げるタイプのブラジャーはこの機会に処分しました。どのタイミングで捨てるんだ?となっていたものもあったので、ちょうどよかったのかもしれません。
あとは術後、片側なくなってから隙間部分をどうやって寒くないようにするかを調整していこうと思います。
10/16 手術前の出社最終日
手術に向けて、体調を整えるため・感染症対策のため、入院までは家族以外の接触を避けるように病院から指示がありました。買い物など短時間の外出にとどめることにしました。ありがたいことにほとんどの勤務は在宅で可能なため、入院直前まで仕事をさせてもらえました。
今のバックオフィスの仕事には単純な作業も含まれるので、それ以外のイレギュラーな処理や、仕掛中で申し送り必要な内容に絞って一覧にしました。決して大きな組織ではありませんが、誰かに何かがあっても基礎的な処理や動きを継続できることは企業として大事であることを実感しました。
そして「無理はしないで治療に専念して」と言いながらも「正直痛手でだ。一刻も早い回復を祈ります。」という言葉に、異動の後一年かけて頑張って来たことも少し評価されたのかなという気持ちと、迷惑をかけて申し訳ないという気持ちが混じった何とも言えない気持ちになりました。
最後の準備は心の準備
私の乳ガンならば症例も多く、今のところ術後の生存率も悪いものではないはずです。ですが、準備をすすめると同時に不安もこみあげてきます。
「何があっても不思議じゃない」と「私は大丈夫なはず」という相反する気持ちをバランスよく持ち合わせる状態の維持が難しいと感じました。
今の気持ち
なんだかんだで私は幸運
「生きてるだけで丸儲け」もありますが、
会社が乳がんに関係する有給休暇を認めてくれて、私のいない間のフォロー状況を整えようとしてくれ、復帰を待っていると言ってくれる環境があること。
「何か手伝えることあったら言って」と言ってくれる友人がいて、心配してくれながらも告知前と特に変わらない付き合いをしてくれる人たちの応援があること。
それまで4年会うことができなかった息子が、5年弱前に一緒に住むことになり、一人暮らし的な家事が一通り行える状態でかつ成人していること。
ということで、他にもありますが、手術するには何かと悪くない状態が重なっていることに感謝して臨もうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
と、noteを書きながら落ち着こうと頑張っていたのでした。
手術の前日(入院日)がとてもあわただしかったので、それも記載しようと思います。