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【Week3】挿管〜ICU

2021.09.06 月

(日記なし)

ネーザルハイフローの効果もそれほどなかったのか、この日に人工呼吸器を装着することに。
全身麻酔もしていたと思うので、このあたりから意識や記憶が曖昧です。

2021.09.07 火

(日記なし)

ICU1日目。
この日に地元の病院から本土への病院に移送されました。
当日は病院に常駐するドクターヘリが別の患者を輸送していたため、海上自衛隊のヘリを本土より飛ばしてそれに乗って搬送されたようです。
人工呼吸器を付けていて意識も朦朧としている状態でしたが、ヘリの音がバリバリバリとうるさかったのだけは覚えています。
離着陸時の衝撃とかは全く覚えていないです。そのまま集中治療室入り。

2021.09.08 水

(日記なし)

ICU2日目。
記憶なし。受け答えできるレベルの意識もあったのかも分かりません。

2021.09.09 木

(日記なし)

ICU3日目。
記憶なし。夢で富樫先生の「レベルE」に出てきそうな風景のモノクロ版を見た(この日じゃないかも?)気がしますが、あれが向こうの世界の一面だったのかもしれません。色々オブジェ的なものもあったからそれをこっち(現世)で作ったら売れるかなとか考えてましたw

2021.09.10 金

(日記なし)

ICU4日目。
この日に人工呼吸器を抜管して意識回復。
意識が戻った時に看護師の方に「ここはどこですか?何月何日の何曜日ですか?」と訊かれました(確認しないといけないとのこと)が、搬送された病院も自分が事前に想定していた大学病院でなくて市立病院の方だったようで当然わからず。曜日感覚とかは全く無くなっていました。
真っ白の病室の中で管がいっぱい通された自分の手を見て「ああ、大変なことになったけど、無事戻ってこれた」と実感。

担当された医師の方からも状況の説明を受け、ECMOを使用する一歩手前だったとのこと(医師側もギリギリまで判断を待っていたようです)。
その後に親族に伝えたいことはあるかということで、入院時から状況等を相談していた同級生の医師Hに抜管した旨を伝えてくれと頼みました(途中から自分からの連絡が途絶えたため随分心配おかけしました)。

抜管後に経管栄養チューブも外されたのですが、その後に細いストローでカップ(歯医者のうがいで使うような小さいもの)内の冷水をちびちびと飲んだのがめちゃくちゃ美味かったです。まさしく五臓六腑に染み渡る感じで砂漠とかで枯渇した時に飲む水もこんな感じなんだろうなと実感しました。思わずお代わりをお願いしましたが断られましたw

今になって調べると意識の確認も含めて、抜管から経口摂取に移る際の手順で(YSP - Yale Swallow Protocolというらしい)、水飲みテストもその一貫にあたるようです。

その日の昼か夜から嚥下食開始。
さすがに全部は食えなかったと思いますが、体力を付けるためにもタンパク質を中心に半分以上は食うようにしてました。

2021.09.11 土

(日記なし)

ICU5日目。
人工呼吸器を外された後はまたネーザルハイフローに。
この時は肺が相当弱っていたためか鼻呼吸がしづらく(普段から口呼吸が多いのかも?)、ネーザルハイフローによる鼻からの酸素吸入がかなりキツかったです。その旨を医師に伝えたところ口からでも問題ないとのことだったので、自分で鼻に付けたり口に変えたりしていました。

この時に腹臥位療法(うつ伏せになる)も並行して行われましたが、うつぶせの状態で何時間もそのままというのもなかなか辛かったです。
普段はうつ伏せになりながら、漫画読んだりゲームしたりしているのですが肺が弱っているとこんなにキツいものなんだなと。

この頃からICUを出た時に、どうやって周りの人に自分が持っていた仕事を振っていくかなどを考えていました。病室にはメモなどの余分な紙もなかったので、食事として出されたお弁当(嚥下食)の包み紙にボールペンでTODOリストや連絡回すところなどを書きながら考えていることを整理。

また、この日に親や親族とiPad経由でちょっとだけ対話(ICUに入れないため)。
入院してからマスクなどの酸素吸入で話すのもキツくて断ってたので、話すのは10日ぶりくらいだったかも。とりあえず大丈夫&頑張りますの旨だけ伝えました。

2021.09.12 日

(日記なし)

ICU6日目。嚥下食から普通の食事へ。
経過が良かったのかこの日から固形物の食事へ変わったと思います。牛乳は普段から飲まないので、野菜ジュースに変更。

部屋の中でBGMとしてiPad(病院備え付け)でJ-POPのピアノ(インスト)的なものが流れていたのですが、個人的に落ちつかないのでジャズピアノに変更してもらうように看護師に依頼。この時はドラムの音を聴けるような心境(というか体調?)ではなかったのでちょうど良かったです。自分で操作できるようになってからはビル・エヴァンスばかり流していました。

また、この時は体の体温管理機能(感覚だけかも?)も壊れ気味だったのか頭や足は暑いけど、お腹は寒いとか色々ありました。
エコノミー症候群のような血栓予防のためにふくらはぎを空気圧でマッサージする機械(メドマーというらしい)があるのですが、これを付けると結構暑苦しかったです。意識が戻ってからはリハビリも兼ねてなるべく自分でふくらはぎをマッサージするように心がけていました。

あとは咳や痰もなかなか酷くて何度か吸引してもらったり。
ICU自体初めてだったので、点滴が切れた時の警報音とかがうるさくてナースコールを何度も呼んだりもしました。初めは何の警告音なのか分からず不安もあって呼んでたと思います。

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