【連載小説:ホワイトハニーの未来へ】「第4章 目をつむってただけだから」(4)
(4)
高木は教えた事は素直に吸収するタイプで用意していた仕事を順調に進めていた。何度か質問をされたが、それはまだ本人では、解決出来ない部分が含まれていたので、しょうがない。
それでも和田が帰ってくる頃には、ほぼ終わっていたので和田本人が驚いていたが、高木自身は「島津さんの用意して下さった資料が良かったからですよ」と謙遜していた。
定時になり昼と同じチャイムがフロアになる。仕事をしている社員は手を止めて、立ち上がり終礼を行う。簡単な報告事項やインフルエンザが流行り始めているので、ワクチンをまだ打っていない者は早く済ませるようにという伝達事項だった。
高木には定時で終わる分の仕事しか渡していないので、もうやる仕事がない。大樹は終礼後、席に座り彼の出来た仕事を確認する。
「うん、特に問題はないかな。お疲れ様、明日もこの調子でお願い。今日はもう、帰っても大丈夫」
「はい、ありがとうございます。お先に失礼します」
高木は大樹の帰っていいと言葉を聞いて、緊張の糸が解けていた。
大樹や和田、他のチームは定時では帰れないけど、今日から働く高木に残業してもらう意味はない。緊張で疲れが溜まっているはずだから、早く帰った方がいい。
高木が帰り支度を済ませてフロアから出て行く。途端にいつもの仕事風景が戻った。そうなると、すぐに和田が声を掛けてくる。
「島津さん、どうですか高木君は? 頑張れそうですかね?」
「まだ一日目だからなぁ。緊張もしてたし頑張れるかどうかは、三ヶ月ぐらいは働いてからだ」
目をパソコンに向けたままでそう答える。どれだけこちらが丁寧に指導しても結局のところ、続けられるかどうかは本人次第。合わないと思ったら辞めるか、どこか妥協して働き続ける。
その二択しかない。
「そりゃそうか。あっ、そうだ、高木君のマニュアル。あれ、俺も見てみたいですよ。見せてください」
「ああ、これ?」
説明用にと別に用意してしていた自分の資料を和田に手渡す。彼はそれをパラパラと捲りながら、「へぇー」とか「ほぉー」とか感想を言っていた。
「にしてもやっぱり凄いですよ。普段の仕事だって忙しいのにいつの間にこんなん作ったんですか?」
「空き時間に適当に作っただけだって。本来、こういうのはもっと準備しておかないとダメだったんだ」
会社内でなあなあになっている曖昧な部分。灰色の本のおかげで少しずつ処理が出来るようになっていた。そう考えていると、服部係長が「島津君」と大樹を呼んだ。
今日一日、客先会社との打ち合わせで外だった服部係長。そのまま直帰しても良いのに。わざわざ帰ってくるのが真面目な係長らしかった。
「お疲れ様です」
「どうだった? 今日から働く高木君は?」
「昨日話した通りで、午前中はパソコンの設定と業務の説明ですね。午後は簡単な仕事をお願いしました。一生懸命やってくれましたよ」
大樹が簡単な一日を服部係長に伝える。すると、うんうんと頷いた。
「本当は僕も挨拶したかったんだけど、しょうがない。明日のチームミーティングの時に挨拶するか」
「はい。流石に初日から残業は可哀想だったんで、今日は定時で帰らせました」
「それがいい」
「あれ? 俺の時はちょっと残業しましたけど?」
会話を聞いていた和田が横から口を挟む。
「和田の時は、前年度の報告がまだギリギリまで残ってたから。あれは今でも悪いと思ってるよ」
和田が入社した時は二月にチーム内で退職者が三人も出て、客先への年度末対応とでバタバタしていた。しかも高木のような資料もなく、全て口頭で説明していた。
「あぁ、そうだった。和田君が入社した時は大変だった。その経験が今に活きてるとはいえ、すまないね」
服部係長も当時を思い出す。二人揃って悪かったと謝られると、和田は調子が狂ったのか「いえ、こちらも逆に貴重な経験が出来たので……」と変な形で納得するような事を言った。そして、思い出したように「あっ」と、小さく口を開ける。
「そう言えば、これ凄いですよ。島津さんが作ったマニュアル。高木さん用に作ったって言ってますけど、彼以外でも充分使えるレベルです」
「ほぉ」
和田から受け取った業務説明資料をパラパラと捲る。
「そんな大したものじゃ……」
あくまで高木の為にしばらく使えればいいと考えて作ったので、服部係長の目に入られると、お粗末さに小言を言われるかも知れない。改善点を指摘されるのは、助かるけど、修正作業を考えると、少々面倒だ。
大樹がそう考えていると、パラパラと全て見終わった服部係長は「島津君」っと口を開いた。
「このマニュアル、データはどこにある?」
「えっと、共有のチームフォルダのその他に入れています」
「そうか。すまないが、あとで私と岩木主任で幾つかの修正をさせてもらうかも知れない」
修正が入る事は予想していたが、岩木主任も加わるとは考えていなかった。寡黙でいつも残業や休日出勤を繰り返す彼にマニュアル修正までさせるわけにはいかない。
「赤線とか指示だけいただけたら、自分が直します。忙しいお二人の手を煩わせるのは、申し訳ないです」
大樹がそう言うと、服部係長は大樹の肩にポンと手を置いた。
「島津君だって、充分忙しいじゃないか。それにチーム内で運用する業務マニュアルは以前から作るべき課題だったんだ。たたき台を作ってくれて感謝してる」
そういう言い方をされてしまうと大樹はとても申し訳なくなる。別に使命感や達成感から作ったのではなく、ただ灰色の本に書かれていたから作っただけに過ぎないのだ。
「……では、はい。お願いします」
上司に押されて、これ以上は言えない大樹はそのまま頭を下げた。
それから服部係長は自分の席に戻り、仕事を続ける。彼がパソコンのキーボードを叩くのを耳で捉えつつ、大樹も自分の仕事を続けた。
灰色の本に書かれている通りの仕事をこなして、周囲からは評価されている。これは決して自分自身の力では決してない。そんな事は百も承知だ。
常に答えを見ながら生活をしているのだから、褒められても虚しさしかない。まるで、よく似た自分以外の誰か褒められているような気がして、大樹は心のどこかに棘が刺さるのを感じていた。
感じつつ、知らないフリをずっとしていた。
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