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【シャニマス】その優しさは、変わらないままで/幽谷霧子【考察】

※True含む幽谷霧子関連コミュのネタバレ等が含まれます。

※先人たちによる幽谷霧子考察記事と内容が被るかもしれません。パクる意図はありません。「同じこと考えたんだね」くらいで笑って許してください。

※熱が出るほど長いです。

※すでに幽谷霧子を知る人には再確認、知らない人には理解の助けとなれば、それが一番幸いです。



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少女は物語と対話する

「幽谷霧子は独特な世界観を持っている」と聞いたことのある人も多いだろう。事実、幽谷霧子関連コミュは彼女の感性や世界観に主軸を置いたものが多い。

最もわかりやすい特徴は「さん付け」だろう。花、魚、動物にはじまり、割れたカップや接着剤、はてには痛みといった実体が存在しないものにまで、彼女は「さん付け」をする。

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あらゆるものに「さん付け」をする不思議な子なのかな?と思われるかもしれないが、そうではない。「さん付け」しないものも存在する。

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実を言うと、幽谷霧子は明確な基準を元に「さん付け」を行っている。その基準は長らく予想止まりであったが、2020/04/03に公開された高山P(偉いおじさん)へのインタビュー記事により、公式の解答が提示された。

インタビューによると、幽谷霧子の「さん付け」の基準は物語性を感じたか否かで決まる。概ね「対話の対象になったかどうか」がポイントである、とのことだ。

具体例を出そう。pSR【包・帯・組・曲】発生イベント1『お手当てします』は、グッズ販売会の準備中に怪我をしたPを幽谷霧子が治療するコミュだ。

幽谷霧子は「痛いのさん」と、怪我に「さん付け」をしているのが確認できる。というのも、この場面はまさしく「痛いのさん」に語りかけている場面である。治療という行為の対象であり、対話の対象でもあることが、物語性があると判断されているのだろう。

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一方で、直後の場面では「痛いの」となり「さん付け」がなくなる。ここでの対話の対象は「痛いの」ではなくPである。さらに言えば、治療という行為はすでに完了している。ゆえに「さん」が取れるということだろう。

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逆に「さん付け」していなかったものが「さん付け」するものになるケースを挙げよう。sSR【君・空・我・空】発生イベント1『おでこの空』は、三峰結華と幽谷霧子が飛んでいく風船を見つける場面から始まる。

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コミュの序盤、空にある風船を見つけた場面では「風船」と呼んでいる。しかしその後、風船の飛んでいた理由について考える場面に入ると、呼び方が「風船さん」に変化する。

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最初に風船を発見した時、「風船」はただのオブジェクトに過ぎなかった。しかしその後の場面で「風船」はお誕生会で飛ばされたという物語を伴った存在になる。そのため「風船さん」に変化したと考えられる。概ね対話の対象=「さん」なのだが、このように対話を介さなくても「さん付け」される場合もある。

まとめると、幽谷霧子が物語性を感じる条件は大きく分けて2つ。

①幽谷霧子の行為(対話、治療、水やり等)の対象となった場合は「さん」……例:「痛いのさん」

②幽谷霧子が対象に関する物語を認識した(話を聞いた、想像できた等)場合も「さん」……例:「風船さん」

だと考えられる。


私が思う私の世界

このことから「さん付け」の基準には幽谷霧子本人の主観が大きく影響していることがわかる。

「風船」がまさしく最たる例で、彼女が物語を想像できた瞬間に「風船さん」へと変化している。「お誕生会」の物語はあくまで想像に過ぎないが、それが事実か否かは関係ない。幽谷霧子自身が物語を認識したというのが重要なのだ。

sSR【我・思・君・思】発生コミュ2『かなかな』は幽谷霧子の世界について、最も深く踏み込んだものだろう。

カード名からわかる通り、このコミュのテーマはデカルトの「我思う、故に我あり」である。デカルトはすべてを等しく疑うことで、疑う余地のないもの=真理を探ろうとした。その結果「すべてを疑っている自意識」は疑う余地のないものだと気付いたという。

図1

話をコミュに戻そう。「私は今ここにいる」ことは否定できない。だがそれ以外の物事、例えば「今いるこの世界」について疑うことはできる。「この世界は実は夢なのではないか」という疑いを否定することはできないのだ。

しかし幽谷霧子は夢でも現実でも「この咲耶さん」に会えるのならば嬉しいという。この発言から、彼女にとって「夢の世界の咲耶さん」と「現実世界の咲耶さん」は、同じ「この咲耶さん」という認識らしいことがわかる。

図3

夢と現実はまったく違うものだと思われるかもしれない。しかし重要なのは、幽谷霧子が目の前の人物を「この咲耶さん」だと認識した、ということだ。ならば少なくとも「幽谷霧子の世界」において彼女は「この咲耶さん」なのである。彼女が「夢の世界の咲耶さん」か「現実世界の咲耶さん」か、見分ける必要がそもそもないのだ。

デカルトは自分と世界を分けて考えたが故に世界を疑うことができた。だが幽谷霧子にとって世界とは自分の認識の集合体、いわば自分の意識そのものである。つまり疑う余地のないものなのだ。「私が思う、故にこの世界あり」といったところだろうか。

図4


世界のすべてに寄り添って

幽谷霧子は、物語性があると認識したものに対して「さん付け」をする。基準はわかった。では「さん付け」することでどんな意味が生まれるのだろうか。

「さん」とは敬意・親愛を表す敬称であり、通常は人間に対して用いる言葉である。つまり幽谷霧子は物語性に対して、人間と同様の敬意や親愛を抱いている、と解釈できる。事実「さん付け」した対象はほぼ例外なく擬人法で表現されている。

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これは万物に魂が宿るというアニミズムの考え方に似ているが、少し異なる。アニミズムならば「さん付け」に基準を設ける必要がないからだ。さらにpSR【伝・伝・心・音】発生イベント1『どなたですか』を例にあげるが、彼女は花が手紙を書く等の超常現象をはっきり否定している。

図1

幽谷霧子の親愛の対象は霊魂ではなく、あくまで物語性を伴ったものである。では物語性とは具体的に何なのだろうか。

pSSR【菜・菜・輪・舞】発生イベント3『音がします』には、幽谷霧子が「蛇口さん」と対話する場面がある。

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このコミュにおいて、幽谷霧子は「蛇口さん」が頑張っているから傷んでしまったという物語性を見出している。当たり前だが「蛇口さん」が自ら「傷んだ理由は頑張ったからです」と喋ったわけでない。「頑張ったから傷んだ」というのは、幽谷霧子が対話の対象=「蛇口さん」に共感することで導き出した物語なのである。

もう一例、【我・思・君・思】発生イベント1『みんみん』から挙げる。

図7

これは実際に「セミさん」と対話している場面ではなく、おそらく「セミさん」はこういう気持ちだろうという想像を話す場面だ。直接的な行為の対象ではないのに「さん」が付く理由は、共感だろう。幽谷霧子は「セミさん」の気持ちに共感することで、「セミさん」の物語性を見出している。

つまり幽谷霧子が対象へ共感を抱いた時に物語性が生まれ、「さん付け」が行われるという流れになっている。

幽谷霧子は人間とはかけ離れたようなもの、おそらく思考や感情を持たないであろうものでさえ、共感を抱くことができる。その物の人生の一端を、物語という形で見つけ出すことができる。そして物語を認識することで、その物に対して親愛と敬意を抱くのだろう。

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彼女は元々共感性の強い人だったのだろう。心配性なのも、怪我に敏感なのも、他人の痛みを自分のことのように感じる能力が高いからなのだ。


私の空、貴方の空

ここまでの文面からだと、幽谷霧子がいかにも特別な世界で生きているように思えてしまうかもしれないが、実はそうではない。人間は誰しも自分というフィルターを通さなければ、世界を認識することができない。つまり本質的には、誰もが幽谷霧子と同じ世界の見方をしているのだ。

【君・空・我・空】の『おでこの空』に戻ろう。幽谷霧子と三峰結華は同じ「空を飛ぶ風船」を見たが、その認識は異なっている。

図5

三峰結華は「誰かが風船を飛ばしてしまった悲しい風船」と認識したのに対し、幽谷霧子は「お誕生会などで飛ばされた楽しい風船」だと認識している。

同じものを見たとして、それをどう認識するかは個人で異なる。世界というものはただ1つ不変なもののようで、その実「見ている人がどう認識するか」によって変化するのだ。

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このコミュ内では「空」と表現されている。三峰結華の「空」、幽谷霧子の「空」、それぞれ異なる美しさがあるのだろう。しかしそれを認識できるのは自分だけだ。隣にいても、おでこをくっつけても、「空」を共有することはできない。

図1

図3

「空」を見ることは、見せることはできない。これは悲しい話ではない。「三峰結華の空」を直接見ることはできないが、「優しい空を見ることができる、優しい結華ちゃん」を見ることはできるのである。
図2

自分の世界は自分にしかわからない、他人の世界は他人にしかわからない。だから自分の視点で相手の気持ちを考えて、物語を探し出す。共有はできなくても、共感はできる。これこそが幽谷霧子の世界観の根底にあるものではないだろうか。


包帯の理由

共有できなくても、共感はできる。理解できなくても、受け入れることはできる。これは幽谷霧子のみならず、シャニマス全体を通じて何度も語られていることである。

実を言うと、幽谷霧子は誰かに共感された経験は少なかったと考えられる。WING編のスカウトコミュ『包帯の女の子』と優勝コミュ『あの日』の話から、幽谷霧子は自分を変えようと自らアイドルオーディションを受けに来ている。

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シーズン2コミュ『優しい失敗』の描写から、彼女が変わるべきだと判断したものは、極度の心配症や遠慮しすぎてしまうところ、自信のなさ等であることがわかる。

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幽谷霧子はそういった良くないところを包帯で隠そうとした。曰く、お守りであるという。予め怪我をしても大丈夫な状態にしておくことで、怪我をするかもしれないという不安から解放されるということなのか、あるいは心の苦しみに反して傷ひとつない身体そのものに不安を感じるのか、その意図は正確にはわからない。

図9

幽谷霧子は自分に自信を失っている。だが彼女を取り巻く環境は、決して劣悪だったわけではない。シーズン3コミュ『マイステージ』、pSR【天・天・白・布】Trueイベント『帰りましょう』等の描写から、病院の知り合いやクラスメイト等とは良好な人間関係を築いているように見える。

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図11

一方で、pSSR【菜・菜・輪・舞】発生イベント2『日曜日の』やpSSR【霧・音・燦・燦】発生イベント5『ほしをひとまわり』の描写から両親との仲は良好だが、幼い頃から今にいたるまであまり甘えて来れなかったことが伺える。

図12

図13

こういった幼少期と現在の幽谷霧子を結び付ければ、自ずとひとつの考えに辿り着く。彼女は忙しい両親に対し、素直に構ってほしいと言える性格ではない。両親を気遣い、自分を主張することなく身を引いて遠慮してしまうタイプである。一番甘えたかった時期に、忙しい両親への共感と遠慮を覚えてしまったことで、相手に強く共感し遠慮をし過ぎてしまう人格が形成されたのだろう。

包帯のお守りがいつから始めたものなのかはわからない。だが遠慮してそっと身を引くという形の優しさは、はっきり声をあげる形の優しさと比べて気付かれにくく、理解されにくい。優しさに気付かれない小さなすれ違いの繰り返しが、彼女に包帯を纏わせたのかもしれない。

前述通り、幽谷霧子は嫌われているわけでも、虐められているわけでもない。にもかかわらず、Pがその優しさや気遣いを褒めた時、今まで褒められたことがないと口にするのである。一見矛盾しているようにも思える言葉だが、この仮説が正しいとすると腑に落ちるのではないだろうか。

図14

図15


「ただいま」と「おかえり」

幽谷霧子は自分を変えたかった。だから本当は包帯を取ってくれることを期待して、アイドルになったはずである。だがPはそうはしなかった。

図17

心配症や遠慮しすぎてしまうところは、他人を気遣いその痛みに共感できる優しさである。自信を持てないところは奥ゆかしさだと捉えることもできる。

幽谷霧子の主観では、包帯は良くないところの象徴なのかもしれない。しかしPの認識では、それは優しさであり彼女の長所である。幽谷霧子はPを通じて、それに気づくことができた。シーズン4コミュ『わたしのしるし』では、包帯に隠したコンプレックスをも自分の魅力だと認識を改めているのである。

図19

幽谷霧子に共感し、受け入れてくれる存在はPだけではない。『十五夜「おもちをつこう」』は、幽谷霧子はL'Anticaのみんなと協力して読み聞かせ用の絵本を作るイベントコミュである。

図26

コミュ内において幽谷霧子は一貫して絵本やご本と呼び、「さん付け」を行わない。みんなと一緒に作ったという物語があるにもかかわらず「さん付け」しない理由は、この絵本が自分自身を表しているものだからである。

図24

L'Anticaのみんなと協力して作り上げた絵本に、自分を重ねているのだろう。さらに幽谷霧子は絵本を未完成だという。L'Anticaのみんなと比べて、自分はまだまだという認識なのかもしれない。

しかし彼女たちの認識は異なり、絵本はすでに完成しているという。幽谷霧子は自分自身で認識する以上に、L'Anticaにとって必要不可欠な存在になっているのだ。

図25

そして幽谷霧子にとっても、L'Anticaはかけがえのないものだ。かつて帰りが遅くて両親には言えなかった「ただいま」と「おかえり」という言葉を、L'Anticaに対して言っている。これには特別な意味が込められているのだろう。家族と同じ存在だと認識しているのかもしれない。

図30

図27

自分自身では気付けない良いところを認識するためには、それを教えてくれる誰かの存在が必要だ。自分を受け入れて、自分に共感し、自分を正しく認識してくれる存在に、幽谷霧子は出会うことができた。変わらなければいけないと思い込んでいた短所が、変わらなくても良い長所だということに気付けたのである。

図22


やがて届く

幽谷霧子がアイドルになった動機は、自分の良くないところ変えたかったからだ。だがそれは良いところでもあることを知り、彼女は変わらないことを選んだ。今彼女がアイドルを続けている理由はなんだろうか。pSSR【鱗・鱗・謹・賀】にその答えがある。

図28

幽谷霧子はおばあちゃんの着物の話をする。お嫁に行くのが心細かったおばあちゃんのためにお魚さんが付いてきたことで、無地の着物が魚の柄になったという話だ。

幽谷霧子も同じだったのではないか。彼女は忙しい両親に気遣って遠慮していたが、本心では心細かったのだろう。それで花や魚、道具たちに励ましてもらっていたのが、「さん付け」の始まりではないだろうか。

図29

おばあちゃんも幽谷霧子も、自分を受け入れてくれる人と出会うことができた。だが世界のどこかには、かつての自分のように苦しい人や心細い人がいる。その人たちを励ますために、幽谷霧子はお魚さんの着物を着てきたのだ。これからはアイドル幽谷霧子が、心細い誰かを応援するのだろう。

図31

そしてその幽谷霧子を応援するのは、プロデューサーの役目である。

だからこれからも見守っていかなければならない。

幽谷霧子が気付けなかった幽谷霧子にも気付けるように。

彼女が楽しい空の下でアイドルを続けられるように。

変わらないまま笑う彼女が、やがて幼き日の彼女の元まで届くように。

図23


不思議で普通の女の子

この文章はシャニマス2周年を意識して、なんとか形にしようと頑張ったものです。

サービス開始直後、やたらとガシャから登場したのをきっかけに、私は幽谷霧子を見守り続けて来ました。

pSSRがいるにもかかわらず、初めてのW.I.N.G.優勝は幽谷霧子で迎えようと意固地になったこともありました。当時はpSR【包・帯・組・曲】で、Voサポートも今ほど強くなかったため、Vo特化のくせに決勝の夏葉に押し負けるという酷い有様だったのをよく覚えています。優勝するまで30回くらい負けたんじゃないでしょうか。

ロゼッタストーンにも幽谷霧子文学は難しいと書かれています。改めて彼女のコミュを見返して、正直頭を抱えました。丸一日筆が止まったこともありました。なんかやたらハイテンションなPと、それを見て嬉しそうな幽谷霧子という図に、なんだろうこれは……と思ったことが5回くらいありました。

彼女を完全に理解することは、きっと誰にもできません。彼女の世界は彼女だけのものですから。

しかし理解はできなくても共感することはできます。彼女が優しくて、優しすぎてしまう人であることは、私にも伝わっています。ただそれを知って欲しくて、2週間くらいかけてこの駄文を書き上げました。

きっと間違った解釈をしていると思うので、近いうちに学会から狙撃されると思います。なんとか半殺しで許していただきたいものです。


最後に、

もしこんなトマトで殴り付けられるが如き記事を読んで、幽谷霧子を見守っていくことを決めた方がいらっしゃったら、それが何より光栄なことです。

紫式部日記に「絵と文章は信頼できる」と記載があることで有名なアイドルマスターシャイニーカラーズを、そして幽谷霧子を、何卒宜しくお願いいたします。

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