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主にnoteの読者を対象にしたつぶやきです。 つぶやきのみを集めてます。(一部不愉快なものもあるかもしれませんが大目に見てやって下さい。またはスルーして下さい)
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2022年11月の記事一覧

バカでないと打ち破れない壁というのも、ひょっとするとあるのではないか?

いや、刑務所に入れられたり、殺されたりしない限りだが

ネットって芸術表現を志す人にそんなに分のいいメディアではないような気がしてきた。

ひろゆきとか岡田斗司夫とか解説業に近いことをやってる人が優位な気もする。

ネットにある表現というのは
5割くらいは、片っ端から忘れていかなければ、人の精神は壊れるのかも

なんて、ネット上で表現している自分が言うのもなんだけど

占いは気にするけど
やっぱり「大殺界」ってあるんだろうか?
リアルでもネットでも今年ほど誰とも噛み合わない年も少ない

でも、家族はかろうじて無事だし、ニュースを見てると、刑務所行き確定とか、死にました・刺されましたみたいなはなしも山ほどあるから
無事に年を越せれば恩の字なのか

自分は太宰治や草間彌生みたいな専業の創作家になることは今のところ断念している。

自分は弱いから一般労働というカタルシスを必要とした。

専業でやってたら、受苦を直接形で語り、被害者か告発者にでもなりかねない情けないヤツだからだ。

創作をやる人の行く道(道程)にはすべて受苦があるのだとは思う。

蟻とキリギリスのはなしがあるけど
僕もnote(創作・キリギリス)と一般労働(バイト・蟻)の両方やってるけど
ある意味(一般労働・蟻)のほうが全然ラクに感じることもある。

どういう受苦なのかは極力はなさないけど

文化的な営為をやりたい人は、引きこもりたいくらいが本音のハズだが
つながり重視の投稿アカウントの時代は孤独の恐怖を倍加させたため、引きこもるのも簡単ではなくなった。
投稿アカウントの繁盛は、引きこもりと正反対という危うさがある。

文化的な営為なんて、引きこもってるくらいでないとできないのかもしれない。

投稿アカウントが大繁盛していて忙しいなどでは、おおよそ文化的な営為はムリではないか?

SNSって基本任意の空間で、それが良さのひとつだとも思うけど

任意の空間っていうのは、どうしても自己都合丸出しで、都合が悪くなれば、逃げろや逃げろを繰り返してしまう。

そうすると、発展性みたいのは期待しにくい部分もあるのかもしれない。

あんまり人のこととやかく言えないけど

SNSって、結局、同類・同世代で狭く固まってしまって、思ったほど結びつける力はないのかもと思うこともある。

オジサン世代が入ってきたSNSからは若者が逃げるみたいなパターンがどの国でもここ数年続いているみたいだ。