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サレンダー、小さなエゴを明け渡す

ちょっとHSPとかエンパスの話題からはずれますが、最近「surrender(サレンダー)」という考え方に注目しています。

エンパス研究の第一人者、ジュディス・オルロフ博士もThe Power of Surrender(邦訳「こだわらない人がうまくいく!」)という本をエンパスの本の数年前に書かれています。

サレンダーとは、布袋寅泰さんの曲のタイトルではなく、レインボーの曲の歌詞でもなく、チープトリックの曲でもなく(→しつこい?)、流れに身をまかせる、明け渡す、降参する、譲る、といった意味の言葉です。

一般的には、あきらめるとか、もう降参だとか、ネガティブな意味で使われますが、ここで言うのは自分のとか、私の、という小さなエゴを超えて、大いなるものに全て明け渡す、流れにまかせる、ゆだねると、全てうまくいくという考え方です。


巷で流行った「引き寄せの法則」や「ヴィジョンボード」などが、一部の人にしか効果がないのは、このサレンダーと全く逆の発想だからです。実はイメージしすぎたり、意識しすぎると叶わないことが多いのです。

幸せになろうとするほど、お金持ちになろうとするほど、無意識より意識が働いて、幸せにもなれないし、お金持ちにもなれないのです。

私が神道や仏道、ヴェーダのアプローチに注目し、神道界の重鎮だった中西旭先生、真言密教のトップクラスの存在であった野澤蜜厳師などと懇意にしていただき、直接一対一で教えをいただいても私自身あまり楽になれなかったのも同じ理由です。もちろん中西旭先生や野澤蜜厳師は真実をわかっておられたと思いますが。

欧米人は、それを「神」に委ねるという感じで考えるようですが、特に一神教ではない私たち日本人には少し馴染みにくいと思います。そこで、大いなる自己宇宙内なる神スーパーセルフ自然界などと、と言い換えても良いと思います。


また私はこれまで神仏に祈る根底の意識は、いい子でいないと父親のように母親から見捨てられる=死の恐怖という6歳の頃の記憶に基づいていました。神仏に関わっている時だけは母親は褒めてくれたので。

しかし不安や恐怖の意識で神仏に祈っても願いはなかなか叶いません。


母親は私が25歳の時に亡くなっていますが、その記憶は自分では気づかないまま影響しました。潜在意識の記憶とは、普段は意識していない記憶のこと。自分の都合の良いように書き換えられる意識できる記憶の話ではありません。

30年以上瞑想していてもスッキリしなかったのも、おそらく同じ理由からです。機械的に瞑想だけしていても解決しません。瞑想教師は瞑想さえしてれば、なんとかなるような言い回しをしますが。。。(以前の私は、規則正しく毎日瞑想していれば、全ての問題は解決すると信じていました。でも30年以上瞑想してきて、それは幻想だと今はわかります。)

そもそも宗教に興味を持ったり、瞑想したりする人は、元々何らかの問題をかかえています。大きな困難や辛いことに遭遇していない限り、若いうちから宗教や瞑想などに興味は持たないほうが多いですよね。


さらに人生で起こることは、単なる自分の心の持ちかたとか、意識のしかたとか、精神的な問題、心理学の観点からだけでは絶対に科学的に説明がつきません。遺伝子やホルモンといった物理的な影響も大きい。心と体は密接に関連し合っていると考えたほうが自然です。

でも各々が幸せになれないのは何が原因なんてことは、アタマ(顕在意識)だけで考えてもわからない。心理学だけのアプローチでも解決しない。上級心理カウンセラーの資格を持っている私が言うのも何ですけど。


では、どうすれば良いのか?

「引き寄せの法則」や「ヴィジョンボード」の発想では、なかなかしんどい思いをしないと願いは叶いにくいです。

自分の抱えている問題や恐れを大いなる者、宇宙、神に丸投げしてみる、というのは一つの楽な方法です。まず自分の気持ちをスッキリさせるのです。

日本では、白い紙で作った人形に名前と年齢を書いて、自分の身代わりとして神社に納め、大祓の神事の時に火でお炊き上げしてもらうという行事があります。

また護摩木に名前と願い事などを書いて、お寺で僧侶に護摩壇でこれまた火にくべて祈ってもらうという行事もあります。

これらは自分の重荷を捧げて手放す、大いなる者にゆだねる、サレンダーの一例です。

また日本では葬儀の出棺の際に故人の使っていた茶碗を割る儀式もあります。これもその故人が持っていた重荷を捧げて手放し、楽に天国に行けるようにするという配慮とも考えられます。

欧米では、ココナッツの実と一緒に瞑想して、その後それを思いっきり放り投げて割るという儀式をする人たちもいるそうです。


問題や恐れを大いなる者、宇宙、神に丸投げしてみる、というのは、言い方を変えると自分を少し離れたところから俯瞰してみるということにもなります。

瞑想を通じて自分を観察したり、俯瞰できるようになることもあります。

問題や恐れを自分で抱え続けているのではなく、大いなるものにゆだねて、ちょっと自分から分離してみる、また恐れている自分を少し外から見てみるのです。

何かを実現したいという時の最大の敵は、恐れや不安です。しかし恐れや不安というのは、その正体をハッキリ見て言葉にしたり、恐れている自分を観察してみると、そのエネルギーは半減します。


大いなるものにゆだねる、サレンダーで恐れや不安を半減することができたら、どうなるか?

恐れている自分、不安をもっている自分を暖かい目が見ることができるようになります。また恐れや不安を引き起こしている事実を面白いとさえ思えるようになります。

その時、あなたは大いなるものと一つになっています。というとちょっと、宗教っぽく聞こえるかもしれませんが。。。

ただそういう視点に自分の意識が拡大したら、どうなるか?

自分のかかえている恐れや不安から自由になり、問題を解決するアイデアが自分の中から湧き上がってきたり、今何をしたらよいのかがわかるようになります。

すると、無理して何かを成そうとか、手に入れようとか、引き寄せようなどと思わなくても、自分が意図したことは自然に実現するようになるはずです。

また手に入れた結果自分には良くないことは、自然に実現しないようになります。

自分にとって良いことだけが実現するようになるのです。

これが「surrender(サレンダー)」の果実です。


さて、大いなるものに全てをゆだねて、自分は「果報は寝て待て」で昼寝していたら良いのかというと、そういう話ではありません。

大いなるものに全てをゆだねて、不安や恐怖から自由になり、いいアイデアが出てきたら、すぐに行動してみることが必要です。

もっと言うと、いいアイデアが出てこなくても、大いなるものに全てをゆだねたら、とにかく動き出すことが大切です。

喩えて言うなら、もし会社が倒産して仕事が無くなって、明日からどうやって食べて行こうかという不安に陥ったら、まず何でも良いので生活するための仕事を探しましょうということです。

あれこれ考えすぎず、選り好みせずにとにかく動き出してみる。動き出してから、いいアイデアが出てきたら、軌道修正していけば良いのです。

軌道修正する方向は、自分が楽しいと思えること、面白いと思えること、夢中になれることです。

「surrender(サレンダー)」は完全に自分を明け渡して降参するというのではなく、大いなるものに全てをゆだねたら、自分は安心して前に進むということです。

不安や恐怖から自由になって、本来の自分の道を進みましょう!

Cover Photo by Ben White


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