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カセット・テープ考①

カセット・テープが流行ってるらしい。子供の頃からカセット・テープを知ってる身からするとなんともおかしなことだ。おじさんからすると、カセット・テープを再生するラジカセやウォークマンも一緒に流行らないとおかしいだろと思うからだ。

「そんなことない、今のカセットテープにはDLコードが入ってデータも一緒についてくるからラジカセは関係ないよ」

そう言われても、それじゃカセット・テープが流行っているんじゃなくてカセット・テープに添付されたデータが流行ってるってことになるんじゃないのかな?

これだからオヤジはって言われそうだ。そんなオヤジの愚痴はさておき、カセット・テープ。実際に使ってはいたけれどそのもの自体についてはよく知らない。だから、いろいろ調べてみた。まずはその歴史から。

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名称は、cassetteとはフランス語で「小さな箱」「宝石箱」という意味。英語の「case」に小さいを意味する「ette」がくっついたともいわれている。

Wikiによれば、オープンリール式だったむき出しの録音テープを扱いやすくするため、テープをカートリッジ式にした規格が数多く発表された。

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その中でも62年にフィリップスが開発したコンパクト・カセットは小形の割に音質が良く、フィリップスが互換性厳守を条件に特許フリーにしたため、多くのメーカーが参入し事実上の標準規格となった。「コンパクト・カセット」が基本名称だったが他メーカーが「カセット・テープ」という名称を使うようになり、こちらが一般化したようだ。国産では、66年 日立マクセルが日本初のコンパクト・カセットを発売(7月・現TDKは9月)した。


一方ハードは、日立製作所が1963年にオープンリール式テープレコーダーにトランジスタ・ラジオを搭載した日立ベルソーナ三九八を発表。トランジスタ・ラジオを組み込んだものとしては国内初の商品である(ちなみに、真空管ラジオまでを含めると、1961年かそれ以前からテープレコーダーの複合機として複数社から市販されていた。)。57年ソニーは、リールを2段重ねにしてテープをマガジン状に収納した「ベビーコーダー」を発売した。他社に先駆けてテープのカセット化、レコーダーの小型・軽量化を行ったが、普及するまでには至らなかった。66年に、アイワが日本初の国産コンパクト・カセット・レコーダー「 TP-707P」を発表している。さらにソニーからはコンパクト・カセット・レコーダー第1号機として「TC-100」(マガジンマチック100)が発表された。68年には、アイワから国産初のラジカセ「TPR-101」が発表された。

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話はカセットへ戻る。カセット式テープレコーダーの音質はオープンリール式に及ばず、学習用などの一般録音機として使われていたが、60年代末頃からその性能も大きく向上した。69年には、 TDKのSDテープがアポロ11号と共に月面へ行っている。

70年 独BASF、米メモレックス等より二酸化クロム磁性体採用の高性能タイプ発売(後のType II※)、72年 米3M、Type I音楽専用タイプにコバルトドープ酸化鉄を採用した「HE」を発売(後年Type IIに転用される)、73年にはソニーより二酸化クロムと酸化鉄の二層塗布によるフェリクロムテープ「Duad」を発売(後のType III※)するなど、磁気テープが進化し音楽の録音・再生にも適したハイファイサウンドが楽しめるようになっていった。

カセットテープは携帯が容易な音楽用メディアとして広く普及し、録音媒体としてレコードのダビング、ラジオなど放送番組を録音するエアチェックに幅広く活用された。78年には、米3Mより鉄合金磁性体によるメタルテープ「Metafine」発売(後のType IV※)。

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同年、松下電器産業(現パナソニック)より、コバルト蒸着式テープ「オングロームマイクロカセット」発売。70年代は、各メーカが熾烈な開発競争を行っていた。

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そして、再びハードでは、ソニーが手のひらに乗るくらいの小型モノラル・タイプのテープ・レコーダー「プレスマン」を78年に発売していた。

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その翌年、HiFi再生用途に特化したポータブル・カセット・プレイヤー・ウォークマン1号機 「TPS-L2」(通称、「ウォークマン」)が発売された。

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同年、7月1日に発売したものの、7月が終わってみると、売れたのはたったの3000台程度。その後、足を使った地道な営業、影響力のある有名人へのプロモーションで8月には初回生産3万台を売り切り生産が追いつかない状態が続いたという。その後、ウォークマンは、ヘッドホン・ステレオ市場という新たなマーケットを創り出し、「世界中で愛されるウォークマン」となった。その生産台数は、第1号機発売から10年(1989年6月)で累計5000万台を突破、13年間で累計1億台を達成した。「15周年記念モデル」が出るまでに、実に300機種以上のモデルを送り出し、ヘッドホン・ステレオ市場において、トップの座を譲ることはほとんどなかった。(ーソニー・ヒストリーより)そして、1995年度には、ついに生産累計1億5000万台に達した。

このようにウォークマンは世界規模のヒットとなった。それに伴ってカセット・テープも隆盛を極めた。WIKIによれば、70年代後半頃にはステレオ・タイプのラジカセが普及し始め、市場が高音質化やカセットの選曲に便利さを求めたことから、スピーカーにウーファーとツイーターを備えた2ウェイ4スピーカー・タイプが登場し、低音へのこだわりからウーファーの口径も当初の10㎝程度から15㎝程度に大口径・大出力化。1978年のメタル・テープ登場時にはいち早く対応するなど高音質化への対応や、カセット・テープの自動選曲機能やオートリバースなどの便利機能を競って採用した。これにより大型多機能と高級化が進み、大きな直方体の箱、上部に大きなチューニング・スケール、正面左右に大きいステレオのスピーカー、中央にカセット・テープ・ドライブ、というスタイルになった。余談だが、当時アメリカでは、大型ラジカセが人気を誇りブーンボックスの愛称で親しまれた。

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しかし、そのラジカセはほぼ日本産だったため、80年代初期の日米貿易摩擦が起こった際には、日本の象徴として自動車とラジカセをアメリカの労働者がハンマーで壊すというパフォーマンスが行われた。

この大型化へのアンチテーゼとして79年に三洋電機が「おしゃれなテレコ」の愛称で小型ラジカセ「U4」を登場させ、ベストセラーになった。また、この頃にはダブルカセットのラジカセも登場して、テープからテープへのダビングも可能となった。それにより、カスタマーがカセット・テープとダブル・カセット・ラジカセで自由に音楽をコピーし編集できる時代となっていった。

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※Type1ノーマル・テープ/TypeⅡハイポジション、クロム・テープ/Type IIIフェリクロム・テープ/TypeIVメタル・テープ



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