伊香保温泉・榛名山へ行こう/沢野ひとし
二十数年ぶりに群馬県・伊香保温泉へ妻と旅に出た。あたりは紅葉が真っ盛りで、空は高く澄みわたり、正に行楽日和であった。
名物の伊香保温泉の黄金(こがね)の湯に呆れるくらい何度も浸かってきた。茶褐色で鉄分を多く含んだ湯は年老いた私の体と、煩悩の心に染み込む。その効能豊かな湯に「人生はこれからだ」と教えられた。
眼を閉じて、じっと湯に体を預け、過ぎ去った日々を回想する。「ゆく湯の流れは絶えずして、しかももとの湯にあらず」。反省は多く喜びは少ない。
ところで温泉饅頭の発祥は、なんと伊香保温泉の「勝月堂」の湯乃花饅頭であると知る。創業明治43年(1910年)というから百年を超す老舗の温泉饅頭専門店である。
湯の色に合わせて、黒糖を入れた皮のしっとりとした食感と、香ばしく甘さ控えめの餡が絶妙である。いつものようにささいなことで妻と喧嘩しながら温泉街を散歩して、その饅頭を買ってきた。早速妻は続けて二つ口に入れ、お茶を飲み干し「温泉饅頭、浴衣、畳、温泉卵、和食」と言ってゴロンと横になった。
しばらくして夕食の前に腹を空かせるために、365段ある石段街に行ってみた。若い時は走るように登れたのに、今や半分を前に息が上がる始末で情けない。先行した妻が上段で仁王立ちしてカラカラと笑っていた。
伊香保から榛名(はるな)湖まで車で40分ほどである。曲がりくねった道路を車は喘ぐように登り、標高1084mの湖畔に着く。その美しさから富士山にも例えられる榛名山(1391m)が紅葉に包まれ見事である。
湖ではボートに乗ったワカサギ釣りの人が多く、湖畔の周りの旅館やホテルも想像していたより観光客が多く活気があった。
大正ロマンを代表する画家、竹久夢二の歌碑が榛名富士をバックに湖のほとりに建っている。
夢二は榛名湖を何度も訪れ、昭和5年(1930年)に自分のアトリエを建てた。そして夢二は地元の有力者から一万坪の土地を譲り受け、この地に生活と密着した芸術を創る「榛名山美術研究所」を建てる壮大な計画を立てていた。しかしその一年後に外遊に出て、やがて亡くなり計画は挫折した。
夢二のアトリエは平成6年(1994年)に再建され、現在は誰もが無料で中に入れる。一階は土間のアトリエで二階に六畳の和室が二つある、簡素な木造の山小屋風の建物である。斜面に沿って建てるところに夢二のセンスを感じた。
二階の窓からは、榛名山が大きく広がって見える。しばらく夢二の気分に浸りながら、榛名山をじっと見つめていた。
私は夢二の絵の中でも、とりわけ榛名山を描いた風景に魅せられる。
なんでもない山容の絵に深い悲しみが広がっている。味わい深い“青”の色に吸い込まれる。
イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊『ジジイの片づけ』(集英社)が好評発売中。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi