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祖母の葬儀 続

2日目。通夜の日
夕方に入棺だったらしいんだけどマジで記憶にないな
祖母の妹夫婦かなんかが神戸から来てたんだけど、「じゃあ帰る!!!!!」って玄関の前で発狂してたな、じゃあ帰ればいいのに
5歳くらいの頃に発狂した祖母にゆめタウンに置き去りにされたことがあって、血を感じました
祖母はそれ以外はめちゃくちゃ穏やかな人だったんだけど

仙台に住んでる従妹も到着してた
ネイル隠しの黒手袋してた、ネイルしてたら喪服着るときそうなるんや

いろいろあって通夜。お焼香とかやるのも初めてで、見様見真似でやっている
学の無さが出ますね、お勉強だけできても本当に意味がないのよ
通夜、あんなにもお寺さん?の話って長いんですね
本当に面白くなかった、努力を怠ると人ってこうなってしまうんだなあって思った
たぶん70歳くらいで、適当に家周って適当に長話してお金もらってれば向上心とかなくなるよなあ
30分くらい面白くない話をずっとされてたんだけど、説話の中で種田山頭火の何かを引用されていて、国語教師の父が頷いててめちゃくちゃキショかった
俺の名前はけっこう中性的で、宿題かなんかで由来を聞いたら「詩の一節から取った」って言われてキショって思ったの思い出したな
詩の一節から取ったにしては割と普通な名前なのもキショい

詩の一節から取って画数を全無視するなよ

お寺さん、「明日の葬儀でも同じ話しますからね」って言ってて最悪だったな
つまらない時間が明日も続くという予告、絶対ダメでしょ
終わってみると通夜は正座だけど葬儀は椅子だったから割と短く感じました

通夜の後、お寿司とかオードブルをみんなで食べる時間があったんだけど、祖母の妹の夫に「お前箸の持ち方めちゃくちゃやないか!!!!!!」って言われて最悪だったね
俺の箸の持ち方がクソなのが悪いのですが……
俺はこういうこと言われたときに「親の教育が悪いんすよ」で責任転嫁をしている、母親教員やってるくせに持ち方めちゃくちゃだからな
何回改善を試みても駄目だったんだよな、平然と正しいお箸の持ち方できてる人たちはすごいです

祖父は通夜の途中部屋に戻って寝てました、死が近くなるとそういうのもありなんだ

翌日、火葬と葬儀
日付で言うと10月9日祝日、スポーツの日
ほとんどの人がご存じないとは思うのですが、私が生まれた出雲市ではスポーツの日に「出雲駅伝」というイベントがあります
大学三大駅伝のひとつらしくて、箱根駅伝と伊勢の方を走るやつと出雲駅伝なんですけど
全国中継してるので興味がある人は来年見てみてね、マジで俺が生まれ育った街の真ん中を大学生の人たちがひた走っています、マジで実家から2kmくらいのところを走ってるんじゃないかなあ
俺も小さい頃に生で見たことがあります
母方の祖父の墓の前がコースでして、墓参りのついでに駅伝を見ました
今はどうか知らないけど、20年近く前の出雲の小学生では駅伝用の応援の旗が学校で配られていました
あと竹島の日には竹島に関するプリントが配られる、2月22日です

12時頃、出棺
霊柩車の中身って初めて見たな、棺を滑らせる用の機構が付いてるんだ

母の車で火葬場に向かう
車がない人や土地勘がない人も多々いるので、各々の車に分かれて乗り込んで向かうことになった、父は自分の車で近所の人とかを大量に乗せてた
けっこう山あいにある火葬場、温泉の向かいに火葬場あったんだ 知らなかった

火葬場に着いたところ、なんか他の車の面々が揉めてることに気づく
話を聞くと、火葬場に入るところで祖母の妹夫婦の車が父の車に後ろから追突したらしい
父、実母の火葬場で事故って本当にかわいそう
誰かの火葬に行ったときとか、スポーツの日のたびに父の車がぶつけられたこと思い出すと思います
冠婚葬祭の時は思い出に結びつくのでとにかく失点を防ぐように動くほうが良いです

火葬を間近で体験するのも初めてでした
燃やすスイッチを押すところも見てて、本当に人の命が終わる瞬間ってここなんだろうなって思ったな
祖母の死体、眠ってるだけなんじゃないかって思うくらい普通の顔してたから、まだ燃やされることが現実と思えてなかった

控室みたいなところで焼き上がるのを待つ
「焼き上がりまでこちらでお待ちください」みたいなこと言われて、パン屋さん?って思っちゃった
控室にはテレビが置いてあって、点けるとちょうどいいタイミングで出雲駅伝が出走してました
出雲駅伝があるたびに父の車が追突されたこと思い出すと思います

次多分完結編、焼き上がりから葬儀、後片付けまで
フィリピン出張までに書き上げたいところ

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