スタイリストの弟子を辞めた後の話

スタイリストの弟子を辞めた私は、次の働き先が見つかるまでの間、何人かの先輩スタイリストの手伝いをしながら暮らしていた。

次は服作りや衣装作りなどができる所で働きたいと考えて、先輩たちにも、「どこかあれば教えて下さい。」と相談していた。

ある日いつものように先輩の手伝いをしていると「本気で服作りをしたいなら俺の友達のブランドを紹介してやるよ。」と言われた。

私は二つ返事に、「お願いします!」と言った。

このブランドが、私の中でながーーーい付き合いをしていくブランドになるのだ。

紹介されたブランドは、まだまだスタートしてそんなに年数のたっていないブランドだった。従業員は社長を入れて二人だった。

そこで、作品や服作りの熱い思いを語り、採用して頂けることになり、働くことになったのだった。

その当時、事務所は代官山にあり、アパートの一室で他のブランドとシェアしていた。(その時事務所をシェアしてたブランドは、今やパリで展示会をしたり東京コレクションのランウェイをしたりむちゃくちゃ大きくなっている。尊敬しているブランドだ。)

会社は自社のオリジナルブランドとOEMで他のブランドやユニフォームや衣装など幅広く手掛けていた。

初めのうちはリメイク商品の縫製作業から入り、次第のOEMの仕事を少しづつやらせてもらうようになった。

社長は一人でこの会社を立ち上げ、まだまだ若かったし、かなり厳しい人で、何度も怒られたりしたこともあった。

その時に教わった洋服を生産して、世に出すことのプロセスは、現在のブランド運営の礎になっている。


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