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夫婦で日本中を旅する唄うたい森香
森香がライブフライヤーをSNSにアップするときの飾り文です。 ただ流れ、消えてゆくのがもったいなくて、妻が拾い集めました。
うた旅とはどんなものなのか生活レベルでお伝えします。 と言いつつも、ライブで撮った記念写真などライブリポート的なものが多いかな。
#自己紹介 こんにちは。 夫婦で日本を旅する唄うたい森香と妻の栄です。 主にnoteは妻の栄が書いております。 どうぞよろしくお願いします。 旅だ 唄だ ランチ営業だ 交…
#自己紹介 こんにちは。 夫婦で日本を旅する唄うたい森香と妻の栄です。 主にnoteは妻の栄が書いております。 どうぞよろしくお願いします。 旅だ 唄だ ランチ営業だ 交流だ などと毎日書いておりまして、きっと何をしている二人なのかさっぱり意味が分からないと思いますので、改めて自己紹介させていただきます。 唄うたい森香について まずは、森香の紹介から。 森香(もりかおる) 1957年生、大工の息子として生まれたそうです。 旅をしながら、全国でほぼ毎日ライブ活動を
久しぶりに会うのは、初めて会うくらい相手のことが分かってない状態になる。名前くらいしか分からない訳で、多分めちゃくちゃ緊張するんだろう。偶然とかそういうのなら良い。ライブのように事前にわかってるとまあまあ緊張する。以前は出演者同士だったが、店の主人となった人に会う緊張を楽しもう。
青春ドラマというのがあった。感動、感涙はそのドラマで教わった。入り込んだ時はその真似を恥ずかしげもなくやった。ともだちを集めてランニングを企画、走り始めに「これが青春だ!」の主題歌を歌った。アホな子供であった。その前の「青春とはなんだ?」の舞台が松本だったとおもう。憧れだった松本
縁の拡がりが生まれるには、ほんの少し人を頼ることも必要だったりする。山崎さん、何も知らない静岡で新しい仲間を紹介してくださって、今じゃ、東に向かう旅、東から帰る旅は必ず静岡に立ち寄らせてもらえるようになった。甘えさせてくれてありがとう。
ぜひ来て欲しいと言われつつ、なかなかお邪魔できない会場も多い。たまたまお邪魔できるのは奇跡ではないのかと思うくらい。あなたに会いに行く距離はそんなにも遠いのだ。出会い再会も命懸けの道行の果て。そう思うとこの出会いをちゃんと愛でているのか?自分に問うて見る日々が続く。
何度も通った町にまだ歌い手がいることを労せずして教えてもらえる。ありがたい。どんな歌を歌うんだろうか?ひょっとしたら想像もつかないことをやってくるんじゃないか?自分はちゃんとその歌に答えられるんだろうか?色々考える。共演者も楽しくさせられないといいライブを作るのは難しい。
コタンはアイヌ語の集落だったと思う。英語で言うならコミューン。ラスタはマルーンって言ってたかな。人が集まるのには丁度いいという規模の集まりだと思う。行商人、吟遊詩人、使徒、僧侶はコタンを巡る人々で集落にとって程よいいい刺激だったのだろう。私も巡る人としての生を全うできたらと思う。
車で旅をするようになっていろいろ思う。列車旅でないと旅らしくないと思っていたが、そうでもない。特に街道道を走る時は楽しい。江戸からの人の気配を感じながら街を眺めるのは脳がピクピク動く瞬間でもある。東海道二川宿あたりで歌える場所があるんだからそりゃいきますよ。
スナフキンになりたい人は沢山いるがムーミンになりたい人はなかなかいない。でも物語はムーミンが主役でスナフキンは距離を置いて眺めている。関わってはこないが、なぜか頼りにされている。そう言う立ち位置が生きて行きやすいのかもしれない。自由と孤独について考える。
忘れてしまうことは多々あれど忘れられないことも多い。忘却は生きるための仕組みだと聞いた。死ぬほど痛かったことを覚えていたのでは生きていけなくなるからだ。忘れられないことは心に留めていることが心地よいからなのかもしれない。
長浜の鯖ソーメンというご当地グルメ。タレがなかなかイケてるあったかいソーメンである。この食べ物は初めて彦根に行った時の教わったもののタイミングが合わず何度も素通りせざるを得なかった。そういうのもご縁なんだろう。前回彦根に行った時、意地でも食べた。どうしてもと思うのもご縁だろう。
えーな、いいだ、いーな、と良き言葉のラインが中央高速沿線につながっている。強調の表現に否定語を使うとインパクトは強くなる。 これ以上の幸せはない!みたいな。 一方否定する表現はグサグサ刺さる。それを感動と感じる場合も多い。でも何か違うなと思う。 えーな、いいだ、いーな、奇跡の道だ
お弁当を持って近くの公園でご飯を食べる。遠足以外ならこの人生の中で一度だけやった。なぜか春だ。春はそういうことしたくなる。小学校の時、弁当を作ってもらって双子の女の子のところに遊びに行った記憶がある。喧嘩して帰ってきたような。。。コミュニケーション下手はその頃からだなあ。
静かにご縁は繋がっていく。少し離れざるを得ない時期があったとしてもきっといつか再会できるはず。巡り巡ってまた会える。そう思って流れに乗っていくのだよ。
秋吉台を知ったのは小学校の教科書ではなかったかなあ。カルスト台地という名前。鍾乳洞もその時知った思う。昨年初めてその地を訪れた。その不思議な様相になんとも言えない興奮を覚えた。知ると見るではこんなにも違うのだなあ。否応なしに目の前に広がるもの、抗えない。旅というものを知った。