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夫婦で日本中を旅する唄うたい森香
森香がライブフライヤーをSNSにアップするときの飾り文です。 ただ流れ、消えてゆくのがもったいなくて、妻が拾い集めました。
うた旅とはどんなものなのか生活レベルでお伝えします。 と言いつつも、ライブで撮った記念写真などライブリポート的なものが多いかな。
#自己紹介 こんにちは。 夫婦で日本を旅する唄うたい森香と妻の栄です。 主にnoteは妻の栄が書いております。 どうぞよろしくお願いします。 旅だ 唄だ ランチ営業だ 交流だ などと毎日書いておりまして、きっと何をしている二人なのかさっぱり意味が分からないと思いますので、改めて自己紹介させていただきます。 唄うたい森香について まずは、森香の紹介から。 森香(もりかおる) 1957年生、大工の息子として生まれたそうです。 旅をしながら、全国でほぼ毎日ライブ活動を
ぜひ来て欲しいと言われつつ、なかなかお邪魔できない会場も多い。たまたまお邪魔できるのは奇跡ではないのかと思うくらい。あなたに会いに行く距離はそんなにも遠いのだ。出会い再会も命懸けの道行の果て。そう思うとこの出会いをちゃんと愛でているのか?自分に問うて見る日々が続く。
車で旅をするようになっていろいろ思う。列車旅でないと旅らしくないと思っていたが、そうでもない。特に街道道を走る時は楽しい。江戸からの人の気配を感じながら街を眺めるのは脳がピクピク動く瞬間でもある。東海道二川宿あたりで歌える場所があるんだからそりゃいきますよ。
スナフキンになりたい人は沢山いるがムーミンになりたい人はなかなかいない。でも物語はムーミンが主役でスナフキンは距離を置いて眺めている。関わってはこないが、なぜか頼りにされている。そう言う立ち位置が生きて行きやすいのかもしれない。自由と孤独について考える。
忘れてしまうことは多々あれど忘れられないことも多い。忘却は生きるための仕組みだと聞いた。死ぬほど痛かったことを覚えていたのでは生きていけなくなるからだ。忘れられないことは心に留めていることが心地よいからなのかもしれない。
長浜の鯖ソーメンというご当地グルメ。タレがなかなかイケてるあったかいソーメンである。この食べ物は初めて彦根に行った時の教わったもののタイミングが合わず何度も素通りせざるを得なかった。そういうのもご縁なんだろう。前回彦根に行った時、意地でも食べた。どうしてもと思うのもご縁だろう。
えーな、いいだ、いーな、と良き言葉のラインが中央高速沿線につながっている。強調の表現に否定語を使うとインパクトは強くなる。 これ以上の幸せはない!みたいな。 一方否定する表現はグサグサ刺さる。それを感動と感じる場合も多い。でも何か違うなと思う。 えーな、いいだ、いーな、奇跡の道だ
お弁当を持って近くの公園でご飯を食べる。遠足以外ならこの人生の中で一度だけやった。なぜか春だ。春はそういうことしたくなる。小学校の時、弁当を作ってもらって双子の女の子のところに遊びに行った記憶がある。喧嘩して帰ってきたような。。。コミュニケーション下手はその頃からだなあ。
静かにご縁は繋がっていく。少し離れざるを得ない時期があったとしてもきっといつか再会できるはず。巡り巡ってまた会える。そう思って流れに乗っていくのだよ。
秋吉台を知ったのは小学校の教科書ではなかったかなあ。カルスト台地という名前。鍾乳洞もその時知った思う。昨年初めてその地を訪れた。その不思議な様相になんとも言えない興奮を覚えた。知ると見るではこんなにも違うのだなあ。否応なしに目の前に広がるもの、抗えない。旅というものを知った。
若い人たちの表現のトーンの柔らかさや洗練具合を出してみたいとトライしてみるが、うまくいかない。そこを個性というのかもしれないけれど、ビートルズもストーンズも俺たちもそれぐらいは出来るぜと流行りのスタイルで作品を作っている。それがすごいと思うし真似したいところだ。悔しいが。
人生は加算されていくのはいくのか、減算されていくのか、どっちなんだろう。現実はままならないもので手の下しようもない、受け入れるしかない。でも受け入れた後はこっちのものだ。それをどう捉えるかは自由だ。命を削った分、人生は加算されていくんだと伝えるのが年長者の仕事だ。
かつて関門海峡は繋がっていたと言う驚愕の事実を門司で聞かされてから、やっぱりものを考える時は全ての可能性を考えておかないといかんなと反省する毎日だ。ところで今池はかつて池だったとか、ここは太古は海だったとかそう言う話は多い。
修行は、悟りをめざして心身浄化を習い修めること、仏道に努めること、学問や技芸を磨くため、努力して学ぶことなどを意味する。Wikipediaより。特に高知は「歌小屋の2階」でのライブはその意味が強いのかな。いや、歌うこと自体そんな感じかもだ。
耶馬溪という地名をライブで配っているスケジュール表に入れておくと九州の人はみんな反応する。岡山の牛窓や中部地方の恵那峡やあまり観光してない私でも少しは気になる。少し気になってるとこには移住してる人も多くいるようで、今までにないムーブメントが起きたりしている。興味深い。
うたの旅を始めてから、いつか生まれ故郷で歌いたいと願って2018年にようやく実現した。わしのオムツを変えたおばあちゃんが何人も現れて驚いた。今度は大好きな人たちの故郷に歌いに行けるなんて。うたの旅を続けていて本当によかったと思う。(枕崎市、nutmegとのライブ)