私が祖母にできること

明日は入院していた祖母が外泊を認められて、祖母の家に一日だけ戻ってくる日だ。祖母は以前脳梗塞で倒れてしまい、その後遺症で足が軽く機能不全になり、また軽い認知症を患っている。もうすでに卒寿を迎え、生活に覚束ないことも多いみたいだ。

私は孫として何ができるのだろう。

私は以前から生粋のおばあちゃん子で何か暇な時があったり、近くによれば大体は祖母の家に立ち寄り、お菓子をもらったり、ひたすら寝ていたりすることが多かった。行けばお小遣いをくれることも多く、もしかしたら卑しい気持ちもあったのかもしれない。最低だな。

でもまあ多分、どちらにせよ、私はずっと祖母の家に通い続けていただろう。私は何より祖母の家にいる時が落ち着き、そして安心することができた。何か親に不満があって家にいたくない時も、受験勉強で少し疲れた時も、祖母の家に行けば、祖母が笑顔で迎えてくれた。いろんな悩みを忘れさせてくれる場所だった。夏休みで両親が家にいない時は一日のほとんどを祖母の家で過ごした時もあったなあ。今になって考えてみると随分と甘やかされてきたのかもしれない。

最近は行く回数も随分と減ってしまったし、祖母が入院してからはまるきり行かなくなった。何度かお見舞いにはいったけれど、どうやら祖母は自分の弱った姿をあまり見られたくないのか、「早く帰りんしゃい」と言う。自分も最近はああだこうだと話すこともできなくて、「また来るね」と言って帰ることしかできない。顔を見せに行こうとはするけれどそれだけで、それ以外に何もできない自分の無力感に時々苛立たしく思う。

祖父の時もそうだった。祖父が他界する以前、久々にお見舞いに行ってみたら祖父はしゃべることはほとんどできず、目を開けることも難しいような容体になっていた。私を孫として認識で来ていたかもわからず、話しかけてもそれが伝わっているかどうかもわからなかった。結局私は自分の思いを祖父に伝えられたのか否かわからぬまま、祖父は他界した。その時の後悔はおそらくずっと忘れられない。

もしいつか祖母もそんな風になってしまったらと考えるととても恐ろしい。こんなにもお世話になって誰よりも感謝を伝えるべき人に自分の思いを伝えることができなかったとしたら、どれだけ自分を責めても責めきれない。だからこそ、自分が祖母のために何ができるか考えよう。

まずは何よりも顔を出して、話をしよう。そして思いを伝えるなら手紙を書くといいかな。手紙だったら素直に言葉にできそうな気がする。あとは誰よりも自分の成長を喜んでくれた祖母に一年後、自分が無事教師になりましたと報告しよう。自分の成長を示す、最高の報告ができるように。試験はあと半年後、頑張らないと。

3月21日

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