最近になって自分の地域にも新型コロナウイルスの感染者が増えてきた。今、外を出歩くことがとても怖しく思う。それでも大学の関係で外出し、電車に乗らねばならない現状がある。どうしたらいいのか。 今まではどうしても、首都圏で感染者が爆発的に増加している様子をニュースで見て「やっぱり大変なんだな」とどこか他人事のように見てしまっている自分がいた。危険性は十分に理解しているつもりだけれど、それでもどこかに行くたびに手洗いや咳エチケットを徹底しているかと言われると自信をもってそうだと答え
今日で私の大学三年生は終わり、明日から私は大学四年生となる。 いままでの楽しく気のぬけた大学生活はそろそろ終わりを迎える。 7月には私の人生を大きく左右する教員採用試験が待っている。 この三か月、全力で楽しんで、全力で勉強して、そして全力で笑ってやる。 少し歪な字で黒板に自分の名前を書いて、子供たちに自己紹介をしている。 それが私の一年後の姿だ。 3月31日
今日は勉強しようと思ってブックカフェに行った。やっぱり自分はどうにも人目がある場所でないとどうも怠けてしまうようで、いつもは図書館を利用するのだが、今日は休館日ということでブックカフェに。で、それなりに勉強は進んだのだけれど途中で疲れてきたので、休憩がてら軽く本を読むことにした。 読んだ本は何となく手にとった「時間術」に関する本なのだけれど、ぱらぱらとめくりながら途中でなんだか受け付けなくなってしまい、後は適当に流すことになった。受け付けなくなったというのは、その著者の自尊
私が受けようとしている試験には、一般教養も含まれるのだがそれがなかなかに得点率が悪い。模試を解いてみても、得点率はちょうど半分ぐらい。正直このままじゃ結構危ないんじゃないかと焦っている。高校までの不真面目だった自分を恨みたいぐらいだ。 私は勉強が本当に嫌いだった。今までを思い返してみても自ら机に向かって勉強した時間は100時間にも満たない気がする。っていうぐらい嫌いだった。なんで勉強が嫌いかって、その当時の心境を思い出すことは不可能なのだが、おそらく勉強する必要性が分かって
私はいつも通学の際、家に帰るため自転車に乗るが、今日は雨。家の方に向かうバスはすでに終わっていて、一時間ほどかかる道のりを雨の中歩いて帰ることになった。親を呼ぶという選択肢もあるにはあったのだが、呼んでもすぐには来られないだろうし、何となく気が引けた。 傘は差しても濡れるような横殴りの雨で、正直あまり歩きたくはなくて早く帰ってシャワーでも浴びたいと思っていたのだが、やはり普通に歩いても一時間弱はかかる道程はなかなか私を帰らせてくれなかった。傘を差し雨の中であればさらに時間が
今は自分はある試験に向けて勉強中なのだけれど、今日はほとんど勉強しなかった。気分としては最悪なのだが、原因をつかまないときっと同じ過ちを繰り返すので、なぜ勉強しなかったのかを考えなければならない。 今日は春休み期間で不規則な生活をしており9時過ぎに起きた。もうその時点では始まりから終わっているのだが、とりあえず九時に起き、ブランチを食べた後、ニュースを見た。相変わらずコロナが猛威を振るっているのを確認して、外出できなくなると困るなとかなんとか考えていたら、確かにその時12時
昨日初めて日記を投稿できなかった。でもできるだけ、ってことにはしているから許すことにしよう。 毎日続けることっていうのは難しい。なんで難しいかって、どれだけ自分の意思で「続けよう」と思っていても、環境によってはどうしても続けることを諦めてしまう場合がある。昨日は実際友人と一日中遊んでいたのだが、その最中にパソコンに触ろうとは思わなかった。最悪ケータイから打ち込むことはできるが、極力人といるときには、その人との会話に集中したい。 私は友達と一緒にいて楽しいと感じるのは、「運
今日ふと思ったことがある。 「性格は行動に表れる」という言葉をよく耳にする。これは言葉のまんまだが、その人の行動はその性格に起因している、という考え方だと思う。これはもちろん往々にして正しい考え方である。ごみをポイ捨てする人は、日ごろからごみを適当に投げ捨てることに何のためらいもない無分別な人なのかもしれないし、バスや電車の中で人に席を譲ることができる人は、普段からお年寄りや困っている人に親切な行いができる人なのかもしれない。 このような考え方はもう当たり前のようにありふ
今日はドライブに行ってきた。最近は友達とドライブに行く機会が多いけれど、いつも屈託のない楽しい時間を過ごせるように思う。どこかへ行く目的があるドライブももちろん楽しいけれど、たいしてどこに行くのかも決まっていないままに場当たり的にいくドライブも楽しいものだ。 でもドライブっていうのは、誰と行くかで全く違った雰囲気になることが多い。歌うのが好きな男友達と一緒に行くドライブは車中のみんなが知っている、もしくは流行っている曲を大音量で流して、大声で歌うことが多い。周りの知らない人
明日は入院していた祖母が外泊を認められて、祖母の家に一日だけ戻ってくる日だ。祖母は以前脳梗塞で倒れてしまい、その後遺症で足が軽く機能不全になり、また軽い認知症を患っている。もうすでに卒寿を迎え、生活に覚束ないことも多いみたいだ。 私は孫として何ができるのだろう。 私は以前から生粋のおばあちゃん子で何か暇な時があったり、近くによれば大体は祖母の家に立ち寄り、お菓子をもらったり、ひたすら寝ていたりすることが多かった。行けばお小遣いをくれることも多く、もしかしたら卑しい気持ちも
今日で、日記を書き始めて8日目になる。ただ正直今日はそんなに書こう!という気分にならなかった。というかなんだか面倒だなって思った。 そう思ったのは、やっぱり書きたいと思えるようなことがなかったからだろうか。特に最近は変化のない日々を過ごしていることもあって、日常の中に新たな発見をすることや、何か考えることもそれほど多くない。よく言えば安定しているけれど、悪く言えば停滞感。勉強はそれなりに進んでいて、確かに過去の自分と比べてみるとこんなにも自ら机に向かったのは初めてで、それは
小学校から中学生にかけてまで、ゲームがとても好きだった。最初に手にしたのはゲームキューブでひたすら友達とマリオやってた記憶がある。夏休みになって友達と遊ぶことがない日なんかは親の目を盗んでテレビを独占した時もあったし、携帯ゲームなんかを手にしたときはひたすら友達と対戦して、一日終わってたなんていうのもざらにあった。大人になった今でもたまにやるけれど、やっぱり面白くて、でもやっぱり子供のころに熱中していたほどには楽しめない自分もいて、なんだか懐かしい気持ちになる。 香川県のゲ
2月の終わりごろから最近毎日筋トレをやるようにしてる。主にプランクと腕立て、スクワット、腹筋などなど。で、ここ数日なんか筋トレがめっちゃ楽しい。ってかめっちゃ気持ちいい。とか言うとちょっと変態みたく聞こえるかもしれないが、ほんとに気分がハイになる。今日は特にちょっとハイだから、日記に書くことにする。 筋トレを始めたのは、もともと友人が筋トレをして毎日自分に報告するみたいなことをやり始めたから、それに便乗したというかたち。自分も体力の衰えを感じてたし、まあ男なら筋トレして悪い
自分のキャリアについて考えるとき、いつも思うのは「この仕事以外の選択肢はなかったのか」「他の選択肢を十分に検討することなく、このまま成り行きに任せていいのか」ということ。たくさんのキャリアが存在する中で、自分の選択は正しいのか、そんな考えたところでおよそわかりそうにもないことをふと考える時がある。それでも考えねばならない。今後何十年もの時間を一つの職に費やすことになるのかもしれないのだから。 職業について考えるとき「自分の好きなことを職業にしたい」という考えはごく当たり前の
試験受かるまでの足跡を残すために始めた日記だけど、どうせ書くなら面白いこと書きたいと思うようになってきた。やっぱ承認欲求ってものからは逃げられないなぁと。実際今日は勉強ばっかしてたおかげでほかのことはほとんどやってない気がする。でもまあ勉強しながら考えることはあったかも。 今日はたまたま数人の友人と勉強することになったのだけれど、やっぱりどうしても集中力は一人でやってるときに比べて続かない。学習にはそれぞれ個人のペースがある。やっと自分が意識が埋没していっているというときに
noteに日記をつけ始めてから、何となく過ごしていた一日を「今日は何を書こうか」なんて考えながら過ごすようになった気がする。これはやっぱり日記の効果かなぁって思ったり。それが果たしていいのか悪いのかはわからないけれど、まあさすがにそれで頭使って過ごす一日が嫌かといわれるとそうでもないってことは悪くはないんだろう。 今さらだけれど、noteに日記をつけ始めたのは今年ある大きな試験までに自分がいかに過ごしてきたかを記録に残すためだ。その試験までそれほど時間はないのだけれど、自分