誰かの影響

今日で、日記を書き始めて8日目になる。ただ正直今日はそんなに書こう!という気分にならなかった。というかなんだか面倒だなって思った。

そう思ったのは、やっぱり書きたいと思えるようなことがなかったからだろうか。特に最近は変化のない日々を過ごしていることもあって、日常の中に新たな発見をすることや、何か考えることもそれほど多くない。よく言えば安定しているけれど、悪く言えば停滞感。勉強はそれなりに進んでいて、確かに過去の自分と比べてみるとこんなにも自ら机に向かったのは初めてで、それは褒めてあげたいぐらいだけれど、かえってその時間はひたすら勉強のことしか考えていないから、書きたいと思えるようなことに出会うための時間は削られていくのかもしれない。

なんだか勉強に目を向ければ向けるほど、かえって自分の人間性を高めるための時間は減っているかのような、そんなジレンマ。勉強をすること=人間性を高めるという方程式が成り立てればいいのだろうけれど、ひたすら暗記に近いことをやってる今の勉強では難しいところではある。

じゃあ別の時間を自分の人間性を高めるための時間に置き換えられたらいい。電車に乗る時間、風呂に入る時間、寝る直前の30分、まだまだ有効に使える時間なんて言うのは、考えてみれば残っている。その中で、読書をしたり、運動したり、ニュースを見たり、映画を見たり、自然と触れ合ったり、友達と他愛もないことを話せたりすると最高だ。

今わかった。決定的に足りていないのは人といる時間だ。勉強をすることにばかり目がいって、自分が一日のほとんどを一人で過ごしていることに気づいた。LINEのトークなんかじゃやっぱりだめだ。誰かと面と向かって話せないとだめだ。一人でいる時間は決して嫌いではないけれど、自分の心がどんどん乏しくなっていくようなそんな寂しさを覚える。

誰かと一緒にいるから、その人といろんなことを話して、いろんなことに気づく。その人を見て、自分だったらこうするとかあの人も頑張ってるから自分も頑張ろうとかいろんなことを考える。それが日々の刺激になり、自分を奮い立たせる原動力になる。このなんとも言えない不安は、一人でいる時間が長かったからなのかもしれない。

誰かの影響というものが、こんなにも自分の思考や日常の中に大きな存在としてあるとは思わなかった。でもそれに気づけたのは、誰かと関わることがしばらくなかったおかげかも。人は当たり前にあるものをすぐに忘れてしまうとは言うけれど、その当たり前にあるものがどれだけ自分を形作っているかについては、忘れて初めて気づけるのかもしれない。

3月20日

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