行動は何に起因するか

今日ふと思ったことがある。

「性格は行動に表れる」という言葉をよく耳にする。これは言葉のまんまだが、その人の行動はその性格に起因している、という考え方だと思う。これはもちろん往々にして正しい考え方である。ごみをポイ捨てする人は、日ごろからごみを適当に投げ捨てることに何のためらいもない無分別な人なのかもしれないし、バスや電車の中で人に席を譲ることができる人は、普段からお年寄りや困っている人に親切な行いができる人なのかもしれない。

このような考え方はもう当たり前のようにありふれていて、今ではその人の一つ一つの言葉遣いや所作からその人の人格を見抜こうとする技術やテクニックが山のように存在する。そして多くの人がその話題に関心を持っている。「ここでこのような選択をする人は~だ」とか「こんな話し方をする人はこんな人である」というようなことが述べられている本は珍しくない。人はそれぞれの行動に理由付けをしようとしていて、その理由を性格とくっつける。要するにある一つの行動によって、その人の性格は社会的に定義されるということだ。

芸能人のゴシップ、最近でいえば不倫報道などは多くの人を惹きつけるニュースだけれど、そのニュースの話題が盛り上がるのは「あの人があんなことをするとは思わなった」「不倫するなんて最低だ」とかその人の行動からその人格を定義して、さらにはそれが皆で共感できることだからではないか。そして自分にはおよそ関係がないものだから、無遠慮に話すことができるのだと思う。

では、自分が行動を選択するときのことを考えてみると、その場の状況から判断するがほとんどである。いかにも当たり前なのだが、他人の行動を見るときはその性格に起因していると評価するのに対して、自分の行動を鑑みるときにはこんな状況があったから、このように行動したと考える。自分の性格に照らし合わせて行動を選択することはほとんどない。電車の中にお年寄りが立っていたとして、自分が極度に疲れていてどうしても寝たいときは、席を譲るのが社会的に正しい行為だと分かっていても、譲らない場合はある。人は他人を見るときには行動の原因を性格だとするが、自分を見るときには行動の原因は状況だとしがちだ。

このように見てみると「性格は行動に表れる」のは確かだが「行動によって性格が定義される」ということをもっと私たちは理解しなければならない。今の自分の行動が社会的にどう映るのかというのをメタ的にみることができるようになると自分の行動が変わり、行動が変わればそれを反映した人格が形成されていく。

また誰かを評価するとき他人の一時的な発言・行動を見て「この人はこんな人だ」と評価する前に、相手の行動にはその場の状況と背景があることを知れば、たとえ相手に過ちがあったとしてもより寛容な心を持つことができるだろう。相手の行動を、ひいては人格を頭ごなしに否定するような人に、決して信頼の目は向けられない。相手にどのように自分が影響を与えていくのか、主体的に考える姿勢を持たなければならない。

3月23日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?