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目には目を、歯には歯を

世界史の授業で初めて目にしたら最後、
そのあまりのインパクトに一度で覚えてしまうハンムラビ法典の「復讐法」

復讐は現代では御法度とされている。

しかし私には違和感がある。

誹謗中傷やイジメがあった時、
加害者がネットで叩かれだすと、
傍観者側が「それは悲劇の連鎖になるからやめるべき」と言う。

傍観者側の意見として、
それはあまりも綺麗事のように聞こえる。

私はいつも

なんで?なんで加害者が守られるん?
そんなことする奴、同じ目に遭えば良くない?

と思ってしまう。

その人にも暗い過去がある?
知ったこっちゃない。

家庭環境が悪い?
知ったこっちゃない。

どんな事情があっても自分の意思で他人に刃を向けた者に同情の余地など私には生まれない。

もちろん私自身が加害者をネットで叩くなんて馬鹿げたことはしない。
知らない大衆が勝手に叩いているのを見て勝手に思っているだけである。


私は中学の頃、ある日突然仲が良かったはずの女子達に無視されたことがある。

その頃の学校生活は永遠と思えるほど時間が長く感じた。

様子がおかしい私に母は何かあったのかと尋ね、
泣きながら話したのを覚えている。

母があまりの形相で怒り狂ってくれたおかげで逆に平静を取り戻したのも覚えている。

そして母からのアドバイス
「楽しそうに振る舞え」
が完璧に効いたのも覚えている。

次の日からとにかく私は
お前らの無視なんか全く効いてませんけど?
アピールに勤しみ、笑顔で過ごした。
そしたらあっさり話しかけてきた。
なんやねん。

それからしばらく経ち、
いつの日か私を無視していた主犯格が無視されるようになった。

その時何が起きたかと言うと、
あろうことか私に助けを求めてきた。
なんで無視するのか聞いてくれ、と。

私は勇気を振り絞って、

あんたの味方にはなれへんけど、敵でもないから無視はせーへんよ
けど協力はできひん

と伝えた。
彼女はあっさり引き下がった。

結局彼女への無視は卒業まで続き、私は宣言通り普通に接していたけれど、やっぱり心のどこかで「ほれ見ぃ!」と思っていた。

そして私自身の過去を振り返った時、
同調圧力にあっさり負けていたし、
同じように人を傷つけていた。
私を恨んだ子もいただろう。
だから心の中で過去の意地悪な自分にも「ほれ見ぃ!」と思う。

あの頃の私には傷つく経験が、心の痛みを知る経験が必要だったのだ。

それからも幾度か誰かが傷つけられる場面に遭遇したが、
もう同調圧力に負けることはなかった。

でもやっぱり、自分の行いが返ってきている人を見ると「ほれ見ぃ!」と思っていた。


世の中で起こるイジメや誹謗中傷は、
私とは違いその人には何の非も無いのに起こることがたくさんある。
それが原因で自ら命を落としてしまう人もいる。

そう仕向けた人が同じ目に遭っていても、
やっぱり私は同情できない。

同じ目に遭えばいい

と、いち傍観者として思うのだ。

思うくらい好きにさせてくれ。

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