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『雨月物語』 巻之二「夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)」


『雨月物語』は江戸時代後期に、上田秋成(あきなり)が著した読本(よみほん)で5巻9話からなります。読本というのは、今でいう小説のこと。『雨月物語』は幽霊や怨霊にまつわる怪異話が主ですが、その中から、今回はわりとソフトなものを。昏睡状態から目覚めた、ある僧侶の話です。

では、『雨月物語』の世界をお楽しみください。
※なお、原文を意訳していることをご了承ください。


はるか昔、平安時代の話である。
近江の三井寺に興義(こうぎ)という僧がいた。絵が上手いと評判だった。その頃の絵師はたいてい仏像や山水、花鳥などを描いたが、興義は少し変わったものを好んで描いた。
寺でのつとめを終えて時間ができると、琵琶湖に小舟を浮かべる。釣りをしている漁師たちに銭をやっては、釣った魚を湖に放させ、魚がいきいきと遊び泳ぐさまを描いていた。

なにごとも長年続けていると、いつのまにか名人の域に達するものである。
あるとき、興義は絵のことを考えるあまり意識が朦朧とし、夢うつつのうちに水中で大小さまざまな魚たちと戯れた。目覚めるとすぐに夢で見たままを描き、その絵に「夢応(むおう)の鯉魚(りぎょ)」と題をつけた。
絵のすばらしさに惚れこんで、ぜひにと欲しがる者が後を絶たない。花鳥や山水画のたぐいは乞われるままに分け与えたが、興義は鯉魚の絵だけはゆずらない。欲しがる人には冗談めかして、こんなことを言う。
「生きものを殺し魚を食べる方に、殺生戒の戒律を守っている僧の魚をあげることはできませんな」と。
この軽妙なユーモラスとともに、絵のみごとさは、広く世間に知れ渡った。

ある年、興義は病気で寝込んだかと思うと、わずか七日後に亡くなってしまった。弟子や友人たちが枕辺に集まって嘆き悲しんだところ、胸のあたりにまだほんのりと暖かみが残っていることに気づいた。ひょっとすると生き返るかもしれないと、枕もとに座って見守りながら三日が過ぎた。
すると、三日めに興義の手足がかすかに動いた。少しずつ動きだしたかと思うと、長いため息をついて両目を開き、夢から醒めたように起き上がった。

「私はずいぶん長い間、気を失っていたようだ。幾日を過ごしたのかね」
弟子たちは言う。
「和尚様は三日前に息が絶えられました。そこで、寺の者をはじめ、日ごろから親しくなさっていた方々もまいられて、葬儀のことなども相談いたしました。ただ、和尚様の胸にわずかに暖かみが残ってましたので、柩におさめずに皆でお守りをしておりました。その甲斐あって、たった今、息を吹き返されたのでございます。『よくも葬らなかったことだ』と皆、喜びあっております」

興義はうなずく。
「誰でもいい。一人、国司の次官の平(たいら)殿の屋敷へ行って伝えてくれないか。『興義法師が不思議にも生き返りました。殿は今、新鮮な魚で刺し身を作らせていらっしゃいますね。しばし宴を中断して、寺までお越しください。世にも珍しい話をお聞かせいたしましょう』とな。平殿の様子を見とどけて来ておくれ。きっと私の言葉どおりのはずじゃ」

使いの者は不審に思いながらも、平殿の屋敷へ行き、言われたとおりに伝えた。屋敷のなかの様子をうかがうと、平殿と弟の十郎、老臣の掃守(かもん)らが車座になって酒宴を開いている。確かに和尚様が言ったとおりでびっくりした。屋敷の人々もそのことを聞いて不思議がり、とりあえず箸をおいて、十郎、掃守らも引き連れて三井寺へやって来た。

興義は枕から頭をあげて「ご足労をおかけいたしました」と丁寧にあいさつをする。平殿も「生き返られて、何より」とお祝いの言葉を申し上げる。

まず、興義が問いかけた。
「殿、まずは、拙僧の話をお聞きください。漁師の文四に魚を注文されたのではありませんか」

平殿は驚いた。
「確かに、そうです。どうしてご存知ですか」

「文四は三尺(1メートル)ほどもある大魚の入った籠を持って、門から入りましたね。ちょうどその時、殿は弟の十郎様と表座敷で碁をされていた。掃守殿はその傍に座って、大きな桃の実をかじりながら、お二人の碁の腕前を見ておられた。そこへ漁師が大魚を持ってきたものだから、皆、大喜び。漁師に桃を与えられ、たっぷりと酒もふるまわれた。料理人が『腕の見せどころ』とばかりに、その大魚を刺し身にしようと。いかがです。拙僧の申し上げたこと、少しも違っておらぬでござろう」

平殿の一行はこれを聞いて驚く。
「どうして、そんなに事細かにご存知ですか」としきりに尋ねた。

「では、私の話をお聞きください」と言って、興義は語り始めた。

「私は病で臥せっておりましたが、その苦しみがあまりに酷く、自分が死んだことにも気づいておりませんでした。体が火照って暑いので、冷ましたいものだと、杖をついて門を出ると、病の苦しさをいくらか忘れ、籠の鳥が大空へ帰ったような気分になりました。山やら里やらを歩きまわるうちに、琵琶湖のほとりにさまよい出ました。湖面が碧く美しく輝くのを見てたまらず、水を浴びて遊ぼうという気になりました。そこで着物を脱ぎ捨てて、身を躍らせ湖に飛び込み、あちらこちらと水を得た魚のように泳ぎ回りました。思いのままに水と戯れ、それはもう楽しくて夢のようでした。けれども、水の中で人がどんなに泳げても、魚のあの自由自在な楽しさにはおよびません。私は魚がうらやましくなりました。
 すると、一匹の大魚が『お坊様の望みをかなえてあげましょう。少しお待ちください』と言ったかと思うと、深くはるかな水底へと消えて行きました。しばらくすると、衣冠束帯を身につけた人物がその魚の背にまたがり、さまざまな魚の群れを従えて浮かび上がってまいりました。
 そうして、私に向ってこんなことを言うのです。
 『海神(わたつみ)の詔(みことのり)をお伝えいたしましょう。あなたは、かねてから釣った魚を水に返す、放生の功徳を積まれている。そして、今、魚のように遊びたいと願っている。あなたに、ひとときの間、金色の鯉の衣装を授けますから、存分に楽しまれるがよい。ただし、釣り糸の餌の匂いに目がくらんで、釣りあげられてはなりませんよ』
 こう告げて立ち去り、見えなくなりました。
 ふとわが身を見てみると、これはどうしたことでしょう。いつのまにか、私は鱗を身にまとい、つやつやと金色に光る一匹の鯉となっておりました。それを私は奇怪とも思わず、尾を振り、鰭(ひれ)を動かし、ゆうゆうと心のおもむくままに泳ぎ回りました」

「さざ波に身をゆらゆらと漂わせ、志賀の入江の水際で泳ぎ遊んでいると、浅瀬を歩く人の足に驚かされ。また、比良山(ひらさん)の高い峰が影を映す深い水底に潜ってみると、堅田の漁火があやしく瞬いてまるで夢の世界にまぎれこんだよう。黒く光る闇夜の湖に影を映す月は、鏡山の峰で清らかに輝き、湊を照らして、それはみごとでした。沖に浮かぶ竹生島の弁財天の朱塗りの垣が波間に映えるさまは、なんとも神々しく。そうこうしているうちに、伊吹山から吹き下ろす朝風に夜が明け、舟の櫓の音に、葦の間で休んでいた眠りを覚まされました。のどかな矢橋(やはぎ)の渡し舟の棹をすいとかわし、瀬田の橋守の足音にいくたび追われたことか。日ざしがあたたかく降り注ぐと水面に浮かび、風が荒れると水底にもぐって戯れました」(※1)

「自在に泳ぎ回って楽しんでいたのですが、急に腹がすいてまいりました。あちこち泳ぎ回って食べる物を探していると、漁師の文四が垂らしている釣り糸を見つけました。とても旨そうな匂いがします。だが海神の戒めを思い出しました。私は仏の弟子だ。いくら食べ物にありつけなくても、釣りの餌なぞ食べるものかと。ところが、しばらくすると、さらに腹がすいて耐えられません。この餌を食べたからといって、そうそう簡単に捕らえられるものでもなかろう。文四は知り合いの漁師だから、きっと大丈夫だ。そう思い直して、食らいついたのです。そのとたん、文四は素早く釣り糸を引き揚げ、私を捕まえました。『これ、何をするか』と叫びましたが、少しも耳に入らぬようす。鰓(えら)に縄を通し、舟を葦の岸辺につないで、私を籠の中に押し込め、殿のお屋敷に入って行きました。
 殿は弟の十郎様と表座敷で碁を楽しみ、掃守殿はその隣で桃を食べておられる。文四が持ってまいった大魚を見て『おお、これは立派な』と、皆、口々にほめます。
 私は皆さまに向って声を張り上げ、『あなた方は、この興義をお忘れになったのか。勘弁してください。寺に帰してください』と、何度も何度も叫んだのに全くそ知らぬ顔で、逆に手を叩いて喜んでおられる。料理人は私の両眼を左手の指でしっかりつかみ、右手にはよく研ぎ澄ました包丁を持ち、まな板の上にのせて、まさに私を叩き切る寸ででした。私は苦しさのあまり大声をあげ、『仏の弟子を殺すなどもってのほか。助けてくれ、助けてくれ』と泣き叫んだのですが、聞き入れてくれません。とうとう切られたと感じたところで、夢が醒めました」

人々はたいへん驚き、感じ入った。
「和尚様の話をお聞きし、今にして思えば、そのたびごとに魚の口がパクパクと確かに動いておりました。けれども、ちっとも声は出ておりません。それにしても、こんな不思議を目の当たりにするとは」
そう言って、家来を家に走らせ、残った刺し身を湖に捨てさせた。


興義は病が癒えて後は長生きし、天寿を全うした。臨終に際して、それまでに描いた鯉の絵数枚を琵琶湖に散らし浮かべたところ、描かれた魚が紙から抜け出して湖を泳ぎ回ったそうだ。
そういうわけで、興義の絵は後の世に伝わっていない。弟子の成光が、興義のすばらしい技術を受け継いだという。成光が閑院殿の御殿の襖(ふすま)に鶏の絵を描いたところ、ほんものの鶏がこの絵を見て蹴ったという話が、『古今著聞集』(※2)という古い物語の中に残っている。


(完)

(※1)
琵琶湖水中遊泳の箇所は、三井寺付近を起点に近江八景のいくつかをめぐる趣向になっていて、原文は古歌の歌枕などがふんだんに含まれている美文。しかし、今はそれらの古歌や歌枕は知られるところではなく、かえって意味が煩雑になるため大幅にカットいたしましたこと、ご了承ください。
近江八景:三井の晩鐘、瀬田の夕照、矢橋の帰帆、堅田の落雁、比良の暮雪
  (石山の秋月、粟津の青嵐、唐崎の夜雨)←この3つには触れていない。
(※2)
『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)は、3大説話集の一つで鎌倉時代に編纂された。

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