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【連載小説】「北風のリュート」第12話

前話はこちら。

第12話:謎の増殖(2)
【4月26日 つくば市×鏡原市】
 学会を控え論文やデータの整理に追われ、流斗は研究室に泊まりこんでいた。二晩徹夜して学会発表用データをまとめあげ、そのまま研究室の床で寝袋にくるまった。自宅アパートに丸三日帰らなかった。致命的だったのは、プライベートのスマホを自宅に置き忘れたことだ。ただの金属の板と化したそれが息を吹き返すのに、1時間はかかった。
 レイからの着信履歴が4件。
 気づいたことがあれば報せて、とプライベートの番号を教えていた。
 電話がつながらなかったからか。続いてメールが1通届いていた。
 タイトルは「しゃべった!」だ。誰としゃべった?
 本文には「電話して」としかない。
 あああああ! そうとう怒っているのか? 
 流斗は三日間シャワーすら浴びていないフケの浮いた髪をかきむしった。
 
 三日前の夕方だった。
 あいかわらずの曇り空に夕陽がにじむのを、レイは開け放した自室の窓から眺めていた。鏡原だけ曇りが続いているのはおかしいと流斗が言っていた。赤い浮遊物を見かけることも多くなった。空を覆う雲の底にぽつぽつと紛れている。
 すーっと透明な魚が一匹入ってきた。レイの部屋のなかを回遊する。部屋の隅でうずくまっていたボッシュがのそりと起きあがり、天井をうかがいながらレイの足もとに移動する。
 ボッシュにも透明な魚たちが見えている(たぶん)。子犬の頃は魚たちに向かってよくキャンキャンと威嚇していた。大丈夫、何もしないよ、と教えてやると吠えなくなった。空の魚の姿はレイ以外の人間には見えないが、犬や猫には見えているのかも。ときどき猫が塀の上で空をひっかくように前脚を振りあげ、透明な魚を捕まえようとしているのを見かけると、小学生のレイはうれしくなった。
 空の魚は部屋を一周し、レイの頭上に滞空した。
龍人りゅうとノ正シキ血ヲ継グ娘ヨ》
 声のようなものが降ってきた。誰か帰ってきたのかと、廊下や階下を確かめる。誰もいない。両親はまだ診療中だ。弟の櫂も部活から帰っていない。机の前の腰高窓から外をのぞいても誰もいない。そらみみか。
《龍人ノ血ヲ継グ娘ヨ》
 また、くぐもった低い声がする。
 レイは頭を振って部屋のなかを見回す。スマホを耳にあてる。声はしない。タブレットからも音声は聞こえない。
 顔をあげると、目の前に透明な魚が迫っていた。
 こんなに近づいてきたことは、これまでなかった。ごくりと唾を呑む。魚は出っ張った頭頂部をレイの額に近づける。ボッシュがうなる。
《龍人ノ血ヲ継グ娘ヨ》
 魚が触れている額から脳内に声が流れてくる。
 テレパス……だろうか。
「りゅうと?」天馬流斗のこと?
「流斗ならここじゃなくて、つくばにいるよ」
《ソチガ龍人ナリ》
《龍人トハ、風琴ヲ奏デル者ナリ》
「ふうきん?」
 透明な魚が机の上のタブレットを尾びれで叩く。
 と、画面が光り【龍人】【風琴】の文字が浮かび上がった。
 何これ。どんなマジック?
 さすがのレイも理解の許容量を超え脳がショートしそうだ。
《風琴トハ即チ風ノ琴ナリ》
 透明の魚はベッドの下にするりと潜りこむ。
 ベッドの下に銀のリュートを隠している。手を入れて楽器ケースを引き出す。魚もついて出て来た。
「風琴ってこれのこと? これはリュートじゃなくて風琴ていうの?」
《風琴トハ……風龍ノ…神器じんぎ……》
 前頭葉に響く声が掠れ、通信障害時のように電波パルスがとぎれとぎれになる。
 レイは一番訊きたいことを早口で尋ねる。
「あなたたちが食べているものは何?」
 タブレットに【風蟲ワーム】の文字が光る。
《風ノ蟲……ワーム…ナリ》
《時ガ…ナイ》
《龍秘伝ヲ……探セ》【龍秘伝】の文字が明滅する。
 言い終えると透明な魚は、ゆらゆらと落下し、楽器ケースにぐったりと身を横たえると、一陣の風を残しあとかたもなく消えてしまった。マグカップからあがった湯気が空中で消えてなくなるみたいに。
 レイは呆然とした。
 にわかには信じがたい光景と謎の遺言。
 龍人、風琴、風蟲ワーム、龍秘伝。はじめて聞く言葉ばかり。
 銀のリュートを膝に抱える。これは風琴……。風の琴だから、風の化身の魚たちが寄って来るのだろうか。もっと訊きたいことがある。風琴とは何か。龍人とは何か――。
 レイは風琴をつま弾く。だが、音量が足りないのか、どんなに弾いても、もう空の魚は窓から入っては来なかった。
 風もなく蒸し暑い。ボッシュの息が荒い。暑さにまいっている。
 ごめん、ごめん、と言いながらレイは窓を閉めエアコンを入れる。
 お水、取ってくるから待っててね。ボッシュに言いおいて階下へ下りる。
 ――龍秘伝を探してほしいと言っていた。龍秘伝って何? 
 ――わたしが龍人? 
 ――時がないって、どういうこと?
 疑問が後から後からサイダーの泡のごとく浮かんでは消え混乱する。
 こんなこと誰に相談すれば……。空の魚ですら嘘つき呼ばわりされるのに。テレパスを聞いたなんて、頭がおかしいと思われるだけ。
 ぼおっと考えにふけって階段の角でつまずき、抱えていたペットボトルを落とした。
 ぶほっ。ボトルがへしゃげる変な音がした。
 と、腕で笑いをこらえる流斗の顔がぱっと浮かんだ。
 そうだ、天馬さん、流斗ならわかってくれる。
 レイは階段を駆けあがり、スマホの画面を開いた。
 流斗の番号をタップする。20回以上コールしたがつながらない。仕事中か。夕飯の後、風呂上り、寝る前の4回かけたが出なかった。あきらめてメールに「しゃべった!」のタイトルを打ち、本文には……さっきの状況を説明しようと試みたが、何度書き直してもうまく説明できず、全部消去して「電話して」とだけ記した。
 流斗からは翌日も、翌々日も返信がなかった。


13話に続く→


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