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文芸部(#シロクマ文芸部)

 文芸部にはクマがいた。

 あのときは驚いたなあ、とクラブハウスの屋上でプランターに水を遣りながら空を見あげる。ちぎれ雲がさわさわと風に流されていく。つばの広い麦わら帽をとって、顎の下の汗を手の甲でぬぐう。ショートボブの髪が風にほどけ、初夏の日射しに手をかざす。

「ついてきてくれない?」
 入学式で仲良くなった千晶がおがむ。
 大学のクラブハウスは、そのしゃれた呼称とはほど遠い3階建てのコンクリート造で、壁はラッカーの落書きまみれ、廊下には壊れたアンプや学祭の古い看板が放置されゴミが散乱し、さながらスラム街のようだ。
 お嬢様育ちの千晶は、ひとりで行くのが怖いとつぶらな瞳で懇願する。
 幼少時より書道をたしなんできた彼女は、さらさらと細筆で散らし書きができるほどの腕前で、はじめてその特技を目の当たりにしたときは何時代の人だと思った。高校も書道部。もちろん大学でも書道部に入るつもりだとういう。付き添っていけば、わたしも書道部に入部することになるのかな、ちらっと予感と心づもりはしていたけど。

 建付けの悪いベニヤ板の扉をノックする。
「どうぞー」くぐもった男の声が応じる。
 千晶はわたしの淡い黄色のカーディガンの裾を握り、一歩後ろに下がる。
 しょうがないなあ。ゆっくりとノブを回して扉を押す。
 薄暗い廊下とは対照的に、室内には窓からの光があふれていた。逆光でよく見えないが、窓を背にして茶色い小山のような何かがいた。
「きゃあああああ」
 背後にいた千晶が、千切れるような叫び声を廊下に響かせ走り去っていった。呆気にとられてその背を見送り、室内を振り返って、ぎょっとした。 

 簡易スチール製の長机の正面に、泰然とクマが座っていたのだ。
 クマの着ぐるみのようなかわいらしいものではない。北海道の川でシャケを狩っているような、カールしていない剛毛の眼光鋭いほんもののヒグマがいた。
 ノブを握りしめたまま固まっているわたしに、
「ご友人を驚かせてしまってすみません」
 クマが頭を机につけて平謝りし、後頭部を両手でつかんで脱ぐ。
 その段になってはじめて、机で組んでいた両手が人の手だったことに気づいた。あるはずのないものを目にした衝撃で、どうやら思考回路そのものがフリーズしていたようだ。
 現れたのは、ヒグマと勝負できそうないかつい顔だった。
 斜めにつり上がっている太く濃い眉。エラの直角に張った岩のような輪郭。付け根から盛り上がった鷲鼻。肉厚の唇。ひとつ一つのパーツが無駄に自己主張していて、見得を切った歌舞伎役者の面相のようだ。

「どうして、そんなものを」
 机にでんと置かれたヒグマの頭部に目をやる。
「ぼくの顔を見ただけで逃げ出す人が多いんで、新入部員を怖がらせないように」
 その風貌とはおよそ似つかわしくないほど細い声で遠慮がちにいう。
 そのとたん、どっと笑い声が響き、右奥の扉から男女4人が顔をのぞかせた。パーテーションで区切られてもう一部屋あるようだ。
「着ぐるみ作戦、失敗でしたねえ部長」
「どっちにしても怖がらせるんだったら、素顔でよかったんじゃね?」
「ホント、照れ屋さんなんだから」
 わらわらと出てきた4人がクマ部長(?)を取り囲む。
「部長、顔怖いけど、めっちゃ優しいから」
 毛先に軽くウエーブのかかった小柄な女性が部長の隣でにこりとする。

「ここの書道部は、みんなクマの着ぐるみをきてパフォーマンスでもするのかと思いました」
「それはおもしろいですね。でも、お嬢さん。ここは文芸部です。書道部は隣ですよ」
 クマ部長はあいかわらずまじめな顔でいう。こわもての顔と丁寧な口調がちぐはぐだ。
「は? えっ?」
 うろたえて部室内を見渡す。壁に据え付けられたスチールラックには本がぎゅうぎゅうに詰められ、収まりきれない書籍が机の上に散乱していた。
「書道部の入部希望者でしたか」
 クマ部長がいかつい肩をしょぼんと落とす。
「いや、そういうわけでは。書道部は逃げちゃった友人の希望で、わたしは単なる付き添いです」
「じゃ、じゃあ」とぎょろりとした瞳が輝く。
「すみません。わたし、ラノベや漫画しか読まないし……文章なんて書けないんで」
「そうですか」とまた肩を落とし、「では、これだけでも」と薄茶色の小袋を手渡された。
 <物語の種>と几帳面な字が並んでいた。
「入部希望者の方にお渡ししようと用意したんですけど……。まだ、ひとつも渡せてなくて。よかったら」
「はあ」といいながら、封をあけて中をのぞく。
 黒い三角錐の種が3粒入っていた。
 どうみてもアサガオの種だ。これが?

「書くことなんて、なんでもいいんです。アサガオの観察日記だって」
 掌にアサガオの種をのせてとまどっているわたしにいう。 
「人でも花でもなんでも、観察することが大切なんです。まあ、書いてみてください。そしたらわかりますよ。観ていないと書けないんだってことが。そうして観察しているうちに物語が生まれてきます。きっとその種が花を咲かせるころ、物語が書きたくなります。で、書きたくなったらよかったら入部してください。書くという作業は孤独です。だから、なかまが必要です。なかまがいれば書き続けることもできます」
 先ほどまでのおどおどした口調は影をひそめ、丁寧に言葉を重ねる。ごつい眉の下の目がやわらかく笑っていた。
「屋上にプランターと如雨露があるから。自由に使ってね」
 部長を囲んで立っている4人も微笑んでいた。

 アサガオを育てるなんて小学生以来か、大学生にもなって何をしているんだろうと思いながらも、せっせと水遣りに屋上に通った。
 千晶とは書道部の扉の前でわかれる。文芸部の扉を軽くノックして「こんにちは」と声だけかけ、屋上への階段をのぼる。文芸部なのか園芸部なのかわからない、とおかしくなる。
 アサガオの葉にはやわらかい毛が生えていて、触るとくしゃっと心地いいことや、茎と葉の付け根から花芽が出るということを知った。ほっそりとした優美な紡錘形のつぼみが青紫の螺旋をふくらませはじめた。明日の朝あたり、あでやかに開いているかもしれない。
 そろそろ書いてみようかな、朝顔の恋物語を。なんだか書ける気がする。

「ヒグマだから怖がらせたのでしょうか」といって、部長はどこからかシロクマのかぶりものを調達してきたけれど。その年の新入部員はわたしだけだったから、それはあんまり関係なかったと思う。
 部室の扉にはあれから、『シロクマ文芸部』と札がさげられた。

 あれから10年。わたしはIT関連の中堅企業で、どういうわけかプログラマーをしている。くたくたに疲れてひとり暮らしの部屋に帰ると、パソコンを起動させる。仕事でもコンピューターと顔を突き合わせているのにな、と苦笑がもれるけれど。
 コンビニの総菜をレンジで温める。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出す。
 ビールを一口のどに流し込むと、キーボードに手を走らせる。地下鉄の車中で考えた掌編をいっきに打ち込む。総菜を食べながら、誤字脱字をチェックする。「送信」ボタンを押す。
 遅い夕飯を食べ終わるころ、ピロリンと機械音が次つぎに鳴る。
「きょうのは、よかったよ。ラストを……」
「展開部分をもうちょっと大胆にしても……」
「脇役のキャラがイマイチだから、そこをもっと……」
 長くて丁寧なコメントが返ってくる。

 なかまがいるから、書き続けられる。 
 シロクマ文芸部には、今も心やさしきシロクマがいる。

<The End>

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今週も、「#シロクマ文芸部」に参加します!
今週はシロクマ部長へのオマージュ……のつもりです。



 

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