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【気まぐれ日記】#16「井伏鱒二のドリトル先生と、オシツオサレツ」

はじめて「ドリトル先生」シリーズを読んだのは、
小学校4年生のときだった。

教室を二つつなげた程度の小さな図書室。
小学生の背丈からすれば、
十分に高く見えたスチール製の本棚が、
狭い通路をはさんで何本か林立していた。

5列ほどあった棚の4列目あたりだったと思う。
クラスでも一番背の低かった私の
頭ぐらいの高さのところに、
一冊ずつ箱に入った岩波書店刊行の
「ドリトル先生物語全集」がずらりと並んでいた。

背表紙に書かれたタイトルが、どれも
こども心をわくわくさせるのに十分だった。

ドリトル先生アフリカゆき
ドリトル先生航海記
ドリトル先生のサーカス
ドリトル先生月へゆく

放課後になるのが待ち遠しく、
下校のチャイムが鳴るまで
ドリトル先生の世界で遊んだ。

ドリトル先生やトミー、
オウムのポリネシア、
チンパンジーのチーチー、
犬のジップや奇想天外な動物との
出会いと冒険を楽しんだ。

それから、ずいぶん経ってから
英語の勉強を兼ねて原書を開いた。
私の拙い英語力では自力で読み切ることはできない。
あらためて岩波文庫のドリトル先生を手に入れて、
はじめて気づいた。

小学生の私が毎日夢中になった
「ドリトル先生物語全集」が
文豪、井伏鱒二の訳であったということに。

原書と、井伏鱒二訳の「ドリトル先生」を二冊並べながら、
「ここは、こんなふうに訳すのか!」と
井伏鱒二の豊かな文章に、何度も感心しながら読み進めた。

なかでも、私を唸らせたのが、
体の前と後ろに頭をもつ不思議な動物
pushmi-pullyou に対する訳だった。
もちろん、これはロフティングの造語だ。
それを、井伏鱒二は
オシツオサレツ」と訳してのけた。

ロフティングが原語にこめた意味を損なうことなく、
実際の学名かとまちがうほど、いかにも「ありそう」な命名に
私は強烈なボディーブローを受けた。
「オシテヒイテ」では直訳すぎて、動物の名前っぽくない。

「ボクコチキミアチ」とか「ソレオセヤレヒケ」などの訳もあるらしいが、
オシツオサレツにはかなわないと思ってしまうのは、私だけだろうか。

井伏鱒二にドリトル先生の翻訳を薦めたのは、石井桃子だそうだ。
石井が下訳をし、それを井伏が磨き上げたのだとか。
だから、一冊目の「アフリカ行き」は
石井桃子が設立した白林少年館から出版された。

児童書を一流の作家たちが訳す。
ああ、なんて豊かなことばの森を
小学生の私はさまよっていたのだろう。

ドリトル先生シリーズが井伏鱒二の訳だと知るまで、
外国書の翻訳とは翻訳家のものだと思い込んでいたのだが。

けっこう意外な方々が訳されているものは多く、
他にも「へぇ!」と思ったものがある。
ウィリアム・サローヤンの
「パパ・ユーアー・クレイジー」が
映画監督の伊丹十三さんの訳だったり。
姉妹作の「ママ・アイラブ・ユー」の共訳者が
女優の岸田今日子さんだったり。

こちらも、名監督、名女優ならではの
豊かなことばに酔いしれたが、
その話は、また、今度。



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