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息子の発言が聞き取れないことで起きること、願うこと

小3の三男は軽度の知的を伴う自閉症スペクトラム障害があります。

母親のわたしは生まれつき耳がきこえず、
子どもたちとの会話は口の動きを読んでやり取りをしています。

補聴器を装用していますが、
飛行機の音が拾えるかどうかというレベルです。


思ったことを躊躇なく発する

お子さんが小さいときに赤信号で渡った人を見て、
「あの人は信号が赤なのに渡っているよ」
と聞こえるように言ったり、

「どうして信号が赤なのに渡るの?」
と聞いてきた経験をした方はいると思います。

我が家も「急いでいるのかもね」などとうまく交わしながら、
その場をやり過ごした苦い経験はこれまでも何度かあります。

しかし、大抵の子どもは少しずつ大きくなると、
暗黙のルールで思ったことを言わないで
心の中に秘めておくことができるようになってくるのですが、
三男はそれができません。

身体は大きいのに、
思ったことはポンポンと口に出してしまうので、
周りからの視線がますます痛いものになります。

きこえないわたし(親)と特性のある息子(聴者)の場合

わたしは耳がきこえないので、
三男の言ったことはすべて聞き取れていません。

三男の発した言葉によって周りからの視線を浴びたところで、
初めて「何かまずいことを言ったかも?」と気が付きます。

先日、少し離れたところからわたしの方を見て
何かを言っているような方がいました。

マスクを装着されていたので、
話しているのかどうかも判別がつかなかったのですが、
そばにいた三男の様子から私に向かって、
何かしら言っているらしいことはわかりました。

キョトンとしている私の姿でさらに怒りを買ってしまったようで、
「もういい!」というような雰囲気でその場を去って行ってしまいました。

焦りや戸惑いながら三男に
「さっきなんて言ったの?」
と怖い剣幕で問い詰めてしまうのですが、
当の本人は今さっき発言したことはすでに忘れてしまっていることも多いのです。

さらに悪いことを言ったとは思っていないので、
「何が?どうしたの?」
とのんきに聞き返してきます。

「なんて言ったの?」
の言葉そのものが、
どの発言を指しているのかが分かっていないということもあります。

大概は周りの視線や少し前の周りの状況を反芻することで、
ある程度の発言をわたし自身が推測できることも多いのですが、

実際に聞きとれたわけでもない発言を
「〇〇と言ったでしょ?」
と強く問い詰めることが難しいのです。

同じようなニュアンスでも本人が言った言葉通りではなかったら、
「言っていないよ!」
と言われる顛末になります。

「子どもの教育はどうなっているんだ?」

「なぜ注意をしないのだ?」

そんな眼差しで見られていると感じながらも、
どうにもできないもどかしさを感じます。

子どもの会話をフォローできない悔しさ

自閉症スペクトラム障害だと診断されてから、事あるたびに

「お友だちとのやり取りにつまづいていたら
お母さんがフォローしてくださいね」

「本人が不適切な発言をしたときは、
本人も発した内容を忘れてしまうので、
その場で適切な声かけをしてくださいね。」

という助言をいただいていました。

しかし、子どもをフォローするどころか、
わたし自身が誰かにフォローしてもらわないと
子どもの発言は全部拾いきれない現状なのです。

たぶん今までもフォローするタイミングを失い、
息子自身も学ぶチャンスを逃していることも多かったと想像しています。

寝不足だときこえがやや落ちるなどの体調の変化。

息子との会話の途中で発した言葉であれば読唇で気づくこともあれば
不意に突然発した言葉だと気が付かないこともあるなど、
発言した場所の環境やタイミング。

これらが重なり合うと、
同じような内容でも適切な声かけができる時と難しい時があります。

今ある環境で、できることは何か

この課題は永遠の課題だと思いますが、
工夫の1つとして
息子の同級生のママなど周りに知っている人が一緒の場合は、
気づいたときに代わりに声かけをしてもらえるようにお願いをしていくことなのだと感じています。

わたし自身の「きこえない」ということの説明、
息子の特性に関する説明をするタイミングが難しいと感じるのも事実です。

それくらい、地域で誰かと一緒になるということがないことに気が付きました。

まだまだ周囲を巻き込んでいく力が乏しいですが、
直接話せなくても、わたしの普段からの行動で

「あれ?いつもなら一言あるのに、
それがないのはもしかしてきこえていないかも?!」

と気が付いてもらえるようにすることも1つの手段なのかもしれません。