高3でうつ病になった私のいままで②

高校卒業後の浪人(療養)時代から現在まだのことを書いていこうと思います。

浪人(療養)時代

私は高校卒業してからの1年間は、浪人生という体で引きこもりをしてました。ちょこーーーっと勉強してみることもあったけど、基本寝て起きて食べて寝るを繰り返して、通院とカウンセリングのときだけ外に出るって感じで1年間過ごした感じです。
鬱の調子も悪く、よくベットで泣き喚いていたそうです。(家族談)
ODを繰り返してこともあり、この1年の記憶がかなり曖昧(覚えてない)なので、覚えてる大きな話3つだけ書きますね。

アイキャンフライ事件

引きこもり生活を始めて2ヶ月くらい、6月ごろに窓から飛び降りようとして未遂に終わった話です。
本当に記憶がなくて、何か理由だったかすら覚えてないのですが、季節外れの少し寒い日の夜にベット傍の窓から飛び降りようとしました。薄着のパジャマを着ていたので、窓を開けると寒くて、指先が冷たくなって、涙が流れた跡も冷たくて、飛び降りるまでブルブル震えてたことはよく覚えています。
結局、窓から身を出して完全に足が宙ぶらりんになった途端怖くなってしまい、窓枠に掴まり、「助けて」と大声で叫んでいたら、父が来た引っ張り上げて救出されました。父も母も姉も泣いていましたし、とても怒られました。みんなごめんね。
(今でも体調が悪い日に、季節外れの寒い日が重なると、この時のことがフラッシュバックしてしまい、パニックになって動けなくなってしまうことがあります。)

姉と大阪に行って大喧嘩した話

確か夏。好きなアイドルのライブが大阪であり、姉と新幹線で遠征することになりました。ずっと家に引きこもっている私を親と姉が心配して、気分転換にでも行ってきなよと言ってくれたのがきっかけです。
朝は調子も良く、2人で新幹線に乗り無事大阪につき、無事ライブも鑑賞できました。
しかし、大変だったのは帰りです。ライブってその時は楽しいけど、エネルギーを奪われちゃうなぁって感覚が私にはあって、帰るエネルギーが無くなっちゃったんです。で、姉は私を引きずってでも帰ろうとしてくれていたのですが、新幹線の待ち時間に大阪駅で姉がお土産を買おうとしてたときに、あまりにも私が体調が悪くて動きが悪くて、結果ブチギレられ、私は号泣し大喧嘩になりました。
ホテルは取ってないし帰るしかないので、地獄の空気で新幹線に乗り、なんとか東京まだは着きました。しかし、最寄りまで電車で完全にダウンしてしまい、結局そこまで親に車で迎えに来てもらいなんとか家に帰れました。お姉ちゃん、死ぬほど迷惑わけてごめんなさい、家まで引きずってくれてありがとう。

鬱が酷い時に、遠出するのは辞めましょう。(この件で得た教訓)

目に瞬間接着剤が入った話

確か10月、SHINEで買ったネイルチップを爪につけようとして家にあった瞬間接着剤を開けたのですが、口が詰まってしまっていて出ませんでした。そこでなにを考えたのか、私は口を上にして、押しながら、シャーペンで口のところを刺してたんですね。それを何回かしてたら、突然詰まりが取れて、顔に向かって瞬間接着剤が噴射。右目にダイレクトインしてしまいまい、目が開かなくなってしまいました。しかも激痛。
もうそこからは超パニックで、「目が!!目がぁ!?」とアニメみたいに叫びながら水で洗ってみたんですけど、全然ダメで。本当に痛くて洗面所で泣きながら喚いていたら、オンライン授業中だった姉にブチギレられて、それに祖母が気づいてくれて、急いで眼科に連れてかれ、麻酔して網膜に貼りついた接着剤を剥がしてもらいなんとか失明は免れました。
網膜ごと剥がれてしまったので、その後1週間くらいは激痛で両目が開けられず(左目だけ開けようとしても、筋肉が連動しちゃって痛い)、暗闇の中で生活しました。笑
いまでは笑い話の鉄板ネタになりましたが、当時は本当に死ぬかと思いました。


大学受験(AO)

そんな感じで毎日グダグダゴロゴロなにもせずに過ごして気づいたら11月になってました。
結局受験勉強なんもしてないし、まず志望校すら決まってなくて、とてもとても焦ってました。その焦りから鬱が悪くなって、寝込んで、さらに焦って、でもなにもできてない。でも、もうこんな惨めで無意味な浪人を続けるのも、みんなに置いて行かれるのも、どんどん社会が遠くなっていくのも嫌で、大学には入りたくて。そんな日が続き、どうしようと考えていたとき、突然父が「AO(総合型選抜)を受けよう!」と言ってきました。
私も父も姉もは、AOというのは高校の欠席日数が少なく、成績も良くないと、出願すら出来ないものだと思い込んでいました。しかし、それは上位の大学だけだったんです。
父はファミリーマートのレジで、某ここが凄い!の大学のCMでAOな存在を知って、「私が大学に入るにはこれしかない!」と思ったそうです。
調べたら、Fランですが、なんの出願条件もない心理学の学べる大学が何個か見つかりました。
心理学を志望した理由は、鬱病が酷かった時期(高3)にいつしか生まれていた「私の辛い経験を少しでも他人のプラスに還元したい」という思いをカウンセラーさんに話したら、心理士なら実現できるよと言われたからです。私にとってはじめて出来た明確な夢でした。

そこからは大慌てで志望校(家から通える)を決めて、キャンパスに行ってみて、書類を出願して、あっという間に受験当日になってしまいました。基本的に面接が主な選抜方法だったので、父と一緒になけなしですが面接練習もしました。
結果的に私が受けたのは2校。1校目は落ちて、2校目で受かりました。そこが私が現在通っている大学です。

大学合格が決まってからは、少しずつ外に出る練習をしようと思い、中学・高校時代の友人たちと何回か遊びに行ったりもしました。体力が落ちすぎていて1日外に出たら、1週間寝込むみたいなこともよくしてました。

大学入学〜そして現在


そして4月、ついに大学に入学しました。
大学では、基本的に臨床心理学を中心に学んでいます。

入学式

1年生の前期はまだ若干のコロナ禍であったので、オンラインと対面のハイブリッドでした。そのおかげで登校は週3だったので、いきなり全面対面じゃなくてよかったなと思ってます。
Fランだから、みんなパリピのウェイ系で友達1人もできなかったらどうしようと、とても不安だったのですが、実際は真面目な子も普通な子もいて、案外友達はすぐにできました。どこの環境にいっても、やる子はやるし、やらない子はやらないし、自分の身の振り方次第だなと今は感じています。
また、高校で何も勉強しなかったことで後々苦労したので、大学入ってからはとにかく真面目に勉強しています。遅刻欠席、居眠りなど問題外!という感じで、真面目に授業を受けて、真面目に課題に取り組み、とにかく真面目に過ごしています。お陰で成績は相当いい方だと思います。(高校時代の友人に今の大学生活のことを話すと、とってもびっくりされます。笑)

そんなこんなで大学1.2年生を過ごし、現在私は大学3年生になりました。なんやかんや気の許せる友人もでき、楽しくまじめに大学生活を送っています。
現在もバイトやサークル活動はしていません。多分したらキャパオーバーで潰れちゃうから。でも、最近は地元の自治体の無償ボランティアに参加しています。無償というのが、バイトより責任が軽くて、時間がある時に気楽に参加できます。


成人式。左が私。
大学の友人と。右が私。
21歳の誕生日の写真。右が私。

私は高3でうつ病になり、人生終了したと思いました。しかし21歳になった現在でも、なんかかんや楽しく生きてます!!!!!

うつ病はまだ治ってません。月1で病院とカウンセリングに通っていますし、薬も飲んでます。
でも、それなりに充実した大学生活ができています!

周りを見てると、もっとキラキラウェイウェイした大学生活を送っている高校の同級生も沢山います。でも私は今のくらいがちょうどいいんです。そんなにキラキラしてなくても、十分楽しいです。


私の話が誰かの安心になれたらいいなと思って、前の投稿からのノートを書きました。

死んだら全てから解放されます。だから、私は25歳になるまでは頑張って生きてみようと思います。

2024.4.26

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