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4月25日

少し過ぎてしまいましたが、4月25日は、19年前にあった、「JR宝塚線脱線事故」の日です。

何か特別な日は、そのことについてnote を書くようにしています。毎年同じことを書くけれど、忘れないように。(以前から読んでいただいている方には重複しますが)

2005年4月25日。
その頃はデイサービスで働いていました。

朝、いつものようにずっとつけっぱなしのテレビに、信じられない映像が映し出されていました。

マンションに巻き付くように潰れている電車です。「エラいことになった」と思いました。事実とは思えない映像でした。

娘と息子は同じJRを使っています。朝早くに出かけたので、大丈夫と思いましたが、念のために電話して、無事を確認しました。ほっとしました。

でも、市内の高校は、その日は遠足で、現地集合。二人の生徒が犠牲になりました。たまたまその日が遠足というだけで。たまたまその電車に乗り合わせたというだけで。

同僚の娘さんは同じ高校で、一本前の電車に乗っていたそうです。

その路線は、よく使っています。しばらくは事故現場に差し掛かると、電車は減速していました。今は、マンションも取り払われ、立派な追悼施設が建っています。乗客はあまり気にとめていないように思います。私も、気がついたら通り過ぎていることも多いです。

犠牲者になられた方々のことは言うまでもありません。そして、命は助かったけれど、身体が不自由になったり、未だに後遺症に悩む方々のことを聞きます。人生が違ってしまった。

JRの駅には、「事故を反省し、事故防止に努めます」というパネルがずっと立ててあります。命やグリーフケアを考える会などいろいろな活動もされています。

一方で、事故の間接的な原因と思われる「労働環境」について。(電車が遅れたことによる職員への懲罰とかミスを許さない職場の体質など)
何年か前の新聞には、改善への取り組みという記事が載っていました。今年はどうでしょうか。

この前、電車が遅れたことを、駅の窓口の職員に強く非難する人を見ました。「なんとかしろ」と。車内では、数分の遅れでも、車内放送で何回もお詫びしています。急いでいる人もいると思うけど、もう少し寛容になってもいいと思います。寛容な人がほとんどと思うけど。

ホームドアも増えてきましたね。

電車に乗ったら、目的地に着くものと思って乗っています。信頼しています。先頭車両にも乗ります。すいていることが多いから。

私ができることは何だろう。
いつも、何のことでも、こう言っている気がします。
忘れないことはできる。こうして書くことはできる。


青空と木の緑がよく映える


☆ヘッダー写真は、円満寺のお地蔵さん。ちっちゃい。


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