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あれは自分ではなかったか~新聞より

2023年5月16日(火)朝刊

 『老人ホーム転落死 死刑が確定』

 小さな記事でした。
でも引っかかりました。



 ここからは私がこの記事から考えたことを述べてみたいと思います。


 この事件は詳細はわかりませんが、覚えています。
入居者3人をベランダから投げ落とした事件です。

「犯行の直接証明する証拠はなく、被告は無罪を主張した」とあります。
その後自供し、その自白調書の信用性が認められたとのことです。

 記事には載っていませんでしたが、ネットのニュースでは、本人が自ら上告を破棄したため、死刑が確定した、そしてその理由は、「気持ち的にも疲れたから」とありました。

 私が引っかかっているのは、この事件が施設内で起こったというところです。

 介護の現場は対人援助の素晴らしさがある一方、しんどいことが多々あると思います。だからといって虐待等が許されるというつもりは毛頭ありません。ただ、「犯人はひどいやつ」と犯人の人格や性格、残忍性だけが問題という捉え方でいいのか、と思うのです。
 
 今回は本人の持っている性格特性が影響している予測は立ちますが、それプラスさっき述べた介護現場の現状、職場関係、当時の状況などの「環境面」にも目を向けることは絶対に必要と考えます。判決内容にそれはあったのでしょうか。


 そして、もう一つ気になったこと。上告を取り下げた理由が「疲れたから」
そこには、人生に対する諦めというか、投げやりな気持ちを感じます。生きていくことを拒否しています。そんな理由で、「はいそうですか。いいんですね」と言っていいのかなと思いました。

 「私はやりました。だから罪を認めて判決を受け止めます」ではない。そう思っているのならそう言ったらいい。また例えばの話です。もしも他の事件ででも、被告がそう言って、もしそれが冤罪だったらどうなるのだろう。

 
 ここからは死刑論に発展すると思うのですが、もし被告が犯人だったら、自分の犯した罪を反省することもなく、更生のチャンスもなく極刑を課せられる。
 この被告は現在30歳。逮捕時は21歳です。仮に「ひどいやつ」で「極刑に値する」としても、それまでのどこかで違う道を選び、そしてこんな事件を起こさなかったら、これからいくらでも違う人生を送ることができたかもしれない。どうしてもそう思ってしまうのです。
 擁護するのかと言われそうです。甘すぎると言われそうです。


 小さな記事からいろいろ考えました。これは最初に述べたように、一個人の私の考えです。すみません、ここに書いていいか迷いましたが場所をお借りしました。(自分の場所ですけど)
 当然、異論はあると思います。それでもいい。その方がいい。世の中はいろいろな意見でできている。
 
 タイトル名は、別の事件「グループホーム虐待致死事件」のあと、高口光子さんが共著で上梓した本のタイトルです。


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