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「拝啓、おふくろ」道上洋三著

ABCラジオ アナウンサー道上洋三さんの本です。

読んだのはしばらく前です。
だから内容や感想も忘れているように思います。

 詳しく書くのは諦めます。

 この中で印象的だったのは、
事情があり広島でおじいちゃんおばあちゃんと暮らしていた時
例えば駅前の荷馬車のおじさんと仲良くなって
馬の手入れをさせてもらったり、
馬に乗せてもらたりしていたところ。

 蒸気機関車の運転席にのせてもらったところ。

 近所で大きい子も小さい子も一緒になって遊んで
野球とかして
知らず知らずのうちに大きい子を見習ったり、
小さい子をかばうことを覚えたこと。

 ここら辺は子どもの頃のことなのに、
本当によく覚えているなと思いました。

 子どもだけで船で島に渡ってキャンプとか、
こんなふうに遊んだことは
本当に良い体験ですよね。

 そして肝心な「おふくろ」です。
ある日おふくろが迎えに来て
母子二人の生活が始まります。
転校もします。

 お母さんは少年院で看護師として働いていて、帰りは遅く
洋三少年は伝馬船に乗って帰ってくる母親の帰りを
毎日毎日待ちわびて過ごします。

  ここら辺は、
互いに遠慮しているような
でも近づきたいと思っているような。
すれ違っているようですれ違っていないような。

 本文の中でこう書いています。
「僕と母は不器用ながらも、お互いの間合いを近くしたり、遠くしながら暮らしていた」


  陸上を始めた洋三氏。
ここでは陸上部の恩師が出てきます。

 道上氏がケンカして退学になって
陸上の試合に出られなくなったところを
頭を下げて出られるようにしてくれたというエピソードは
放送で何回か聞きました。

  やがて東京にできた道上さん。
母親を呼び寄せ同居するようになります。
ここでも二人の間には微妙な距離感のままです。

 私は思うのですが、これは愛着の問題かなと思います。

  生まれてすぐに別々に暮らすことになった母と子。
愛着とは、ほんの赤ちゃんや子どもの頃に
無条件に愛されて出来る信頼関係のようなものです。


上手く関係を持つことができにくいことがある。
これは「悪い」とか「悪くない」とかいうことではありません。

 必ずそうなるわけもありません。
大きくなってからの関係性に影響があることもあります。
(実は私も考えることがあります)


 道上氏は結婚します。
この奥さん「クマさん」がお母さんとの良い関係を結ぶことができるのです。

 道上氏とお母さんとの間をうまく埋めてくれました。
そしてお母さんは92歳で亡くなります。

 本文中より
「ご苦労様でした。ありがとう。しんどかったな。
母が息を引き取って初めて、僕の素直な感情や想いを言葉に乗せて、母に初めて言えた。
生きているうちに言えたら良かった」

 本の中に道上氏の弟さんが出てきます。
弟さんは母親と暮らすことができませんでした。
亡くなって帰ってきた母親。
駆けつけた弟さんは「最後にお母さんと一緒に寝てもええか」
お母さんの横に布団を敷き、一晩一緒に寝ます。

 長じてなお母親を想うその心に、涙が出る思いでした。

 最後のほうで道上氏は言います。
「今不思議なもので、母親に対する想いは、だんだんと素直なものになっていく」
「自分が母の居る場所に近づいているのかもしれない」

 最後の文章は何となく分かるような気がします。
年月を経てわかってくるもの、ってあるでしょうね。


 仕事をしていると、
親子なのに、他人以上にうまくいっていない
あるいは親子だからこそ絡まってしまっている場合もあります。
 親子だからと言ってつながりを求められても困ると聞くこともあります。

 家族って何だろうと思います。


 でもわかっていることは、自分の生きているルーツであること。
それは何物にも代えらない尊いもののように私には思えるのです。

 話がだいぶ大きくなってしまいました。


 道上洋三さんは脳梗塞で倒れ、療養中です。
リハビリを頑張っておられます。


 ラジオの「おはようパーソナリティ道上洋三です」は終了し、
新たに「おはようパーソナリティ小縣裕介です」が始まりました。
(月~木)

 番組の枠組みはほぼ変わりません。
小縣アナウンサーも好きです。
アシスタントのあーみんも頑張っています。

 でも、道上さん、
私ね、番組の途中でラジオを切ることもあるんだよ。
ダンナがテレビを見出したら切るのは変わらないんだけど
それ以外にも。

  道上さんは、新しい番組も引き続き聞いてほしいと思っていると思うけど、
ごめんなさいね。
 なるべく応援しますね。

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