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「山下清展」を見ました②

前回の①は会場に行き着くまでの話でした。

その続きです。

山下清の才能

 

 さて、ようやく見ていきます。
今回、どうしてもこれが見たかった理由。それはこの前、種田山頭火を読んだからです。山頭火も放浪します。山下清にとって、放浪とは何だったのだろう。それを知りたかったのです。


  山下清は3歳の頃に重い消化不良になって、障害を負います。吃音と知的障害。この知的障害はよく分かりません。文章も残しています。句読点があいまいな、独特の文章ですが、中身は物事の本質をついたような事柄です。今回絵はがきと共に、本も買いました。

 それで、通常の小学校では落ち着いて過ごすことが難しかったようで、八幡学園に入学します。子どもの頃から、絵はとても素晴らしいです。虫の詳細な絵を残しています。

  そして、学園で出会った貼り絵。これは素晴らしかったです。本当に繊細です。色使いもきれい。貼り絵というと平面を想像しますが、こよりを撚って立体的なものもあるのです。有名な「長岡の花火」もそうやって表現しています。これはやはりすごかった。


 もののない時代で、古切手とかも使ったそうです。それはそれは地道で根気のいる作業だったでしょう。でも山下氏にとっては、一つのことに没頭できる至福の時間だったのかもわかりません。

記憶を再現する能力



 山下氏の特徴の一つに、見たものを正確に記憶できる、というのがあったそうです。その場でスケッチとかしなくても、帰ってきてから正確に再現できる。これは、障害の人に多い、特有の特徴というのを聞いたことがありますが、たぶんそれかもしれません。写真のように頭に残っている。

 晩年、ヨーロッパなど海外にも行っています。エッフェル塔のデザインが、寸分の狂いもなさそうです。これはそんな記憶がなければ描けないでしょうね。貼り絵だけでなく、水彩や油彩も描いています。


パンフレットより

なぜ放浪したのか


 さて、放浪です。なぜ放浪したのでしょうか。
山下氏は、突然学園を出てしまいます。線路を歩くことが多かったそうです。駅で寝たり、また追い出されてもいます。出会ったところで、働くこともしています。帰ってきてはまた出ていったそうです。鹿児島で見つかって戻ってきます。「もう放浪しません」という誓約書も書いたそうです。面白い。
 やっぱり山頭火みたい。
でも、放浪という言葉を安易に使うのもなあ、と思いました。それぞれ違うから。

 その時に着ていた着物やリュックも展示してありました。

 解説文によると、「徴兵検査が怖かった」「戦争に行って死ぬのが怖かった」と言ったとあります。それだけではなさそうだと他で読みました。やはり「ひとところにじっとしていられない」というのがあったのでしょうか。帰ってきた時に受けた徴兵検査では、障害があったために不合格になっています。


ゴッホの「ひまわり」を見た!

  
  さて、今回撮影は不可でしたが、3点だけOKだったもの。それは山下清展ではなく、SOMPO美術館が所有しているものでした。東郷青児(元々は東郷青児美術館だそうです)と、モーゼスだったかな。それと、ゴッホの「ひまわり」

 そう、ゴッホの「ひまわり」見ました!思っていたより、おっきかった。絵の具の筆あとがすごかった!
ってなんだか単純な感想です。やはり圧倒されました。本物は違う。
 でもどういうわけか、写真は撮りませんでした。写真はいいやと思ったので。

 ちょっとしんどかったけど、行って良かった。
そうして、目的を達成。今度は本当に孫のSちゃんに会いに行きます!
待っててね。




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