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瀬戸内の旅番外編~政石豪の短歌

瀬戸芸で、大島の作品の一つに、山川冬樹さんの「歩みきたりて」という作品がありました。
政石豪さんという歌人の足跡を映像と遺品で辿るというものでした。

 政石さんはモンゴル抑留中にハンセン病が発覚し、大島の療養所で戦後を過ごしました。
調べてみました。
モンゴルで一人で小屋に隔離されます。食事を運ぶ当番兵以外は訪れない壮絶な孤独と絶望の中で短歌を詠み始めます。

 「足元の土をならして書きつける孤独の文字をよぎる蟻一つ」
 「変型を双手に遺し病癒ゆ何かを握り緊むるかたちに」

 昭和22年復員、大島青松園に入所し、本格的に短歌を作り始めます。
若山牧水賞ももらっています。
 2009年に大島で亡くなっています。
 
 なぜこのことを書こうと思ったかというと、朝日新聞1月6日〔日〕の朝日俳壇に
元ハンセン病の俳人のことが載っていたからです。

 蛇笏賞作家 村越化石。生誕百年。
俳句を心の拠り所として清新な作品を詠み、「魂の俳人」と呼ばれています。

 「除夜の湯に肌触れあへり生くるべし」
 「生き堪へて七夕の文字太く書く」

 村越化石を含め、同じ境遇を追い療養生活をともにした人々の合同句集もあるそうです。

 過酷な状況下でも光明を見出そうとする姿勢は尊く、とこの記事にはあります。
逆境の時、追い詰められた状況では、
俳句など自分を表現する手段が心を救うのかもわかりません。

 ほんの少しだけでも。

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