新聞より ~無法松の一生
新聞の切り抜きがたまっていまして、このまま片づけようかと思いましたが、少しだけ感想を書こうと思います。朝日新聞より
目次
・無法松の一生 地元北九州で愛されるわけ
・孤高の横綱 忘れない
・私のコレクション 戦地へ仲間を見送った青年
無法松の一生 地元北九州で愛されるわけ (10月6日)
『無法松の一生」は岩下俊作作、1941年に出されています。
主人公は富島松五郎、通称無法松。人力車夫の一途な生き様を描いた小説『無法松の一生』の主人公は北九州小倉の代名詞的存在です。
物語上の人物でありながら、小説で無法松が住んでいたとされる街に「無法松の碑」が建てられています。保存会もあり、毎年春には碑前祭を催し、無法松をたたえてきました。それは60年以上も続いています。
小倉駅にも、太鼓をたたいている銅像があります。
なぜ愛されるのか。記事には北九州市立文学館の学芸員の話として、「岩下による人物造形と物語化によって、無法松の『荒っぽいが純情できっぷが良い』という気質が小倉の気質として認知され、それは今もこの街の誇りとして生きているからだ」(以上引用)と書いています。
「小倉の風土と気質が『無法松』を生み、その無法松が小倉の気質と魅力を全国に知らしめた・・・〔以下省略〕」とも書いています。
無法松は太鼓の名手としても描かれています。小倉には祇園例大祭がありその奉納である小倉祇園太鼓で「暴れ打ち」を披露して皆を驚かせます。坂東妻三郎や三船敏郎による映画化もされています。
しかし本来の小倉祇園太鼓には、物語のような「暴れ打ち」はなく、ゆっくりとした三拍子が正当な打ち方なのだそうです。小倉祇園太鼓保存会では是正に務めているとのことです。
さて、ここからが「私と無法松・小倉」になるわけですが、実は小説も映画も見ていません。スミマセン。でも、小倉は私の「地元みたいなもの」です。地元そのものではないのですが。
毎年実家に帰るたびに新幹線の小倉駅で降りていました。在来線に乗ったとたんに乗客の会話から、九州の雰囲気を感じたものです。方言や言葉つかいや雰囲気から「ああ、九州に帰ってきた」と思ったものです。
「荒っぽいが純情できっぷが良い」というのが無法松の気質で、小倉の気質に通じるとのことですが、地方の気質という言い方も難しいです。でも、どことなく認めているからこそ、無法松が愛されているのでしょう。
記事にも出てきた旦過市場です。その近くの商店街にあるスポーツ店でははるか昔アルバイトをしていました。旦過市場にも何回かは行っていると思います。
お店はあまり流行ってはいませんでした。私は知識もなく、テニスラケットを買いに来たお客さんにまともに答えられず、それで良くやっていたなと思います。
祇園祭り(正式には、小倉祇園八坂神社例大祭)の近くになると、街中に太鼓や鐘の音が響き、祭りの雰囲気を盛り上げています。また、商店街を男衆に担がれた神輿が通ることがありました。その時に詠われていたのは「わっしょわっしょ」といった激しいリズムではなく、朗々と低く長く、でも力強く謡のようなものでした。
店の同僚が、「私、これが好き」と言っていました。
原作者の岩下俊作は八幡製作所に勤めながら作家活動を行っていました。北九州と言えば八幡製鉄所です。あったのは小倉ではなく八幡です。町の基幹産業で大勢の人たちが働いていました。義理の兄も働いていました。
今はなく、跡地がスペースワールドというパークになりましたが、それも閉鎖になりました。
高炉の鉄塔が残っています。創業の「1901」と書いてあります。
火野葦平や松本清張とも親交があったと書いています。火野葦平のほうが私にはなじみがあります。火野葦平は故郷の若松出身だからです。作品には「麦と兵隊」「花と竜」があります。
アフガニスタンで活躍して、そして命を落とした中村哲さんは、葦平の甥にあたります。
西日本新聞のネット記事(2019,12,6)に「川筋気質」という言葉を見ました。中村氏が凶弾に倒れた時、火野葦平資料館の館長は「貧しき人や困っている人のために手を差し伸べる『川筋気質』を世界で体現する人だった。『義侠心』のようなものがあった」と悔やんだとのことです。
これも西日本新聞ネット記事より。〔2019.7.26〕
気質とはかたぎ。川筋気質とは、「困った人をほっておけない」「義理人情に厚い」「けんかっ早い」「きっぷがいい」「筋を通す」
これは、かつて石炭で栄えた福岡県筑豊と、積み出し港だった若松の人々に多いとされる気性だ。
江戸っ子気質とも言えそうで、「江戸っ子と川筋には共通点がある」というのは、先ほど出てきた火野葦平資料館の館長さんです。さて、小倉気質と若松気質は同じでしょうか、違うところがあるでしょうか。
実は北九州は1963年に5つの市が合併してできた市です。面白いので、ウイキペディアで見てみました。
「国際貿易港と食品工業が集積する門司、軍事産業が集積し城下町としての伝統を持つ小倉、石炭集散地の若松、官営八幡製鉄所の八幡、紡績や石炭関連産業と水産基地の戸畑、と様々な産業特性の顔を持つ都市が、関門海峡や洞海湾沿岸で互いに競いながら発展してきた」
はあ、なるほど。それぞれ特徴がありそうですね。
ちなみに小倉城の近くには松本清張記念館があり、行ったことがあります。
無法松をモチーフをテーマに新しい映画ができているそうです。
監督の三村さんは小倉出身。「現代の若者と人力車を引く男性との出会いと交流を通じて、故郷の誇りや人間の優しさ、思いやりの大切さなどを表現しました」とのことです。これは無法松が時代を超えて私たちに教えてくれると書いています。
こういった大切なことは、いつの時代でも人々の心に響くのでしょうね。
ああ、目次のあと二つは別になります。いったん終了です。
見出し画像 小倉駅から。スタジアムが見えます。
小倉駅にある無法松。
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