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この日を忘れないために

  この日はこの事を書くと決めている日が何日かあります。

 4月25日。 JR宝塚線脱線事故から18年だそうです。
このことはあまり書いていなかったかもしれない。

 あの日は、勤めていたデイサービスが付けていたテレビで事故を知りました。マンションに巻き付く電車の映像があまりにひどくて、
実際のこととは思えませんでした。

  宝塚線は、我が家の子ども二人が通学に使っていました。その朝も出かけていました。朝早くに家を出たので事故には遭っていないはずと思い、その時はあまり心配しなかったのです。休憩時間に電話をかけて無事を確認しました。

 その日市内の高校は遠足で、行先はUSJで現地集合。ほとんどの子がJRを使って向かったはずです。二人の生徒さんが事故に巻き込まれて亡くなりました。知人の子どもさんは同じ高校で、その1本前の電車に乗ったのだそうです。

 ほんとうにたまたま乗り合わせただけなのに。

 多くの方が亡くなり、けがをされ、今も苦しんでおられます。今日の新聞には、18歳の息子さんを亡くされたご家族が、我が子が生きた年月とほぼ同じ時間を過ごしてきた思いを語られています。

 そこに事故を起こしたJR西日本の安全対策に対する疑問をぶつけておられる言葉がありました。事故前に戻っているのではないかと。

 私がよく使う最寄り駅は同じ宝塚線です。改札口の前に、この事故を起こしたことのお詫びとこれからの決意が書かれたパネルがあります。18年たった今も置いてあります。忙しく行き交う人々の目には、あまり止まっていないように思いますが、まだあります。

 あれから、JRも対策をいろいろとやっているのは、広報誌やチラシや報道から知ることができました。家族を亡くされた遺族の方が、悲しみをどう癒やしていくのかという「ブリーフケア」の取り組みもなされています。

 今日のラジオで、事故に関連して「JRは大丈夫か。この前大雪の時は乗客と長時間閉じ込めていたし」(大意)といったような言葉が流れてきました。

 私は、脱線事故とあの大雪騒動とは少し違うのではないかと思うのです。もちろん事故の原因は一つではないです。Wikipediaによると、「運転士による速度超過」「ATSの不備」「速度計の不備」「日勤教育などの労働環境」とありました。
 私は最後の「労働環境」が気になっていました。
 あの日、あの電車は一つ前の駅でオーバーランを起こしています。そのため出発時間が遅れた。運行にかかわる人員は何かミスやトラブルががあると、それに対して「日勤教育」をはじめ指導や罰則規定の様なものがあり、運転手はそれを気にしていた、「それが事故の遠因ではないかと指摘された」(Wikipedia)と書いてありました。

 今、そこらへんがどうなっているのか、どこかでは発表されている思うのですが、すみません、そこは確認していません。もちろん、命を預かる仕事ですので、いろいろ厳しくなければならないと思います。しかし職場体質というのは変わっているのだろうか、無駄なストレスかかかったりしていないだろうか、働きやすくく、職員が大事にされる職場(もちろん馴れ合いではなく)になっているのかなと思ったりします。それはどこの職場でも言えることですよね。

 事故現場には、追悼の場である「祈りの杜」が建てられています。電車から見えます。以前は電車はそこを通るとき速度を落としていたように思います。今は普通と思う。私もそこを通るときは「あ、ここだなあ」と意識をして目をつむったりしていましたが、今は気がつくと通り過ぎていることも多いです。私自身も他人事になっていたように思います。

 何だかエラそうに難しいことを書いてしまいました。
この日を忘れないために、自分事として考えるために、やはり毎年書いていこうと思っています。

 写真は、東日本大震災の跡地を訪れたときの一枚。吹上地区にて。

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