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佐藤愛子さんの心意気

公民館で、子どもと一緒に絵本を読んだり遊んだりする会に参加しています。片付けなど終わったら閉館間近で時間がないのに、図書室で本を借りたくなります。そうして借りたのが、佐藤愛子さんのこの2冊。


あまり読んだことがなかったかも。おもしろかったです。みなさんご存じだと思いますが、少し紹介します。

佐藤愛子

大正12年大阪生まれ。小説家、佐藤紅緑と女優、三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人、サトウハチロー。昭和44年、夫の会社の倒産と借金、離婚の顛末を綴った『戦いすんで日が暮れて』で直木賞。

Wikipediaより

『九十歳。なにがめでたい』

佐藤愛子さんは、2023年生まれ。現在百歳!実は亡父と同い年。
この本を書いたのが、2015年~2016年。佐藤さんは92歳ごろ。

ありふれた言葉で申し訳ないですが、「痛快」「気持ちいい」「笑える」「元気になる」
年齢をぶっ飛ばしているわけではない。老いを嘆いている。足が上がらず、つまずき、ヨロヨロヨロとつんのめる。

身体は衰えても、「口は達者」(と、これは、ご本人の言葉です)

人生相談を読むのが好きだが、相談者を一刀両断。回答者が親切丁寧に答えているのを「優しく答えている」と感心する。

不要品を買い取りますといっておいて、金製品がないかとしつこい訪問者を一喝。

説明がだんだんお説教になって止らない。相手ははァ、はァ、と仕方なさそうに頷いている。やっとお説教がひと区切りしたのを見て、「すみません、では」と立ち上がってお辞儀する。なに、帰るの?何も持たずに!古本でもいいというからそのつもりで待っていたのに、見向きもしないとは怪しからん!

P152より引用

と、こんな感じです。ご本人同様、文章にもパワーを感じました。たたみかける言葉に納得させられます。


『九十八歳。戦いやまず 日は暮れて』

こちらは、前作から少し経って、2019年~2011年。98歳ごろ。
さすがに、長寿の佐藤さんも、心臓の検査を受けたり、突然昏倒したりする。

目も悪い。耳も悪い。心臓も悪い。血圧は高い。膝はヘナヘナだ。

P.93より引用

その様子もおもしろく書いておられるので、こっちは心配しながらも、深刻にならないで済む。

私が気に入ったのは、「老いた歳月を前向きに過ごすにはどうしたらいいか」と聞かれた時。

小春日和の縁側で猫の蚤を取りながら、コックリコックリ居眠りし、ふと醒めてはまた猫をつかまえて蚤を取り、またコックリコックリ・・・・・・というような日を送りつつ、死ぬ時が来るのを待つともなしに待っている。

P.97より引用

この、「待つともなしに」という境地が理想だと言っておられます。良寛禅師の「死ぬ時節には死ぬがよく候」という言葉も紹介して「憧れ」と言っています。

百年生きてこられれば、世相も変わる。そんな世の中を、昔の眼差しを持つ佐藤さんが語れば、なんか忘れてはいけないものがあるんじゃないか、と思わされます。

断筆宣言

書くのをやめたら死にますよと言われたけど、自分で思うような文章が書けなくなった。部屋は反故にした原稿用紙だらけである。

そうして、佐藤さんは筆を措き(おき)ます。

これから101歳、102歳と年を重ねていかれると思う。どうぞ、身体も口もお達者でいてください。今後、何かの拍子にまた書いてくれるかもしれないという希望は残しておきます。


*『九十歳。何がめでたい』は増補版の文庫になっています。未収録のエッセイや、富士真奈美さんとの対談、瀬戸内寂聴さんの解説もあるそうです。


えっ?なに?映画になるの?!
主演の草笛光子さんは、90歳だ。


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