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ドラッガー「マーケティングとは、セリングを不要にすること」の真意-営業不要論ではない!?

ドラッガーのマーケティング理論を
ご存知であろうか。

もしドラなんていう本が流行り、前田敦子が主演で映画化されたことを思い出す人は少なくないだろう。

彼の理論を一言で表現するならば、
「セリングを不要にすること」である。

セリング=営業という訳をつけられることが多い。そこから、営業は不要だと言う人が現れるのである。(広告が軸となる外資メーカーのマーケティング部門には少なからず存在する印象)

勿論、広告によるコンセプトへの共感やイメージの醸成によってセリングは不要になる。

しかし、ここで言うセリングの訳としては、営業という訳は、部分的に正解であり、部分的に間違っている。そのため、私はセリングをそのままとした。

営業は英訳すれば、
direct marketingである。
つまり、直接的なマーケティングである。

メーカーの営業であれば主として
①「買ってくれ」
②「ここに置いてくれ」
という2つの説得が存在する。

「セリングを不要にすること」とは、
自然に買いたくなるシステムを構築することである。

つまり、営業による①「買ってくれ」という説得を不要にすることである。

では、②「ここに置いてくれ」は何か。
自然に買いたくなる場所に置けるよう説得する行為である。これも立派な「セリングを不要にすること」だ。

例えば、営業の際に、
「値引きするので買ってください」
と説得するのではなく、
「ここに置けば売れるんですよ」
と説得するのである。

以下のような事例が存在する。
あるスーパーで、POSデータから夜の時間帯にビールと紙おむつが同時に買われている傾向が明らかになった。そこで、子どもを持つ父親をペルソナとして設定し、ビール売場と紙おむつ売場の距離を近づけたところ、売上が伸びた。というものである。

データから考えられるターゲットをもとに自然に売れるシステムを構想したのである。それを個別具体的な店舗に実装するのは、まさしく営業である。

貴方にも「セリングを不要にすること」の真意が理解いただけただろうか。

ドラッガーは、自然に売れるシステムを構築するべしであると指摘するに過ぎず、具体的にああしろこうしろという御託は並べていない。ましてや、営業が不要だとは述べていない。

彼は、視点を与えたのである。

実際にどうするかは、我々に委ねられている。

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