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救出された輪島塗に見た、能登の食や文化の豊かさ

能登町の宿「ふらっと」を営むちかこさんとベンさんは、能登の地震で使われなくなった輪島塗の救出をしているという。輪島塗が貴重な工芸品であることはわかっていたけど、救出ってそんなにたくさんあるのかな?と思っていたのが正直なところだった。

私は今年9月から行われる「発酵文化芸術祭 金沢」という催しにディレクターとして関わっている。金沢に頻繁に通ううち、能登に来る機会もあった。金沢の発酵文化は能登の発酵文化と深く繋がっている部分も多くあって、もっと知りたいという気持ちも高まっていた。

能登イタリアンと発酵食の宿「ふらっと」の入り口
「ふらっと」の窓辺には自家製の鰹節


今回私は能登町に来て、その「ふらっと」という発酵食にこだわる宿に泊めていただき、翌日は復興マルシェをお手伝いすることになっていた。ちかこさんのお話を伺ったら、いかに能登の人たちと輪島塗の関係が深いか、そしていかにその関係が長く続いているものなのかを目の当たりにした。

輪島塗の御膳というのは、蓋付きの椀などの5点と盆が1組になったもの。

器5つ+お盆で1セット。
蓋を器として使うことも。

それが5セット揃いで木箱に入っているのが通常らしい。東京のマンション暮らしをしている身からすると、5組もあるのがとても多いと感じていた。きっと、由緒あるおうちだけにあるその木箱の、とても価値の高いものを選んで救出しているのかな?と思っていた。

これは「二の膳」という追加の盆まで付いているセット


ところが、その御膳が、広いお家だと一軒で150組も出てきたりするらしい。古いお寺で「4箱だけある」と言われたところに救出に行ったら、把握できていなかった御膳が40箱出てきたこともあったとか。そういう、いわゆる大きなおうちなどでなくても、たいていのお家には輪島塗の御膳があるそうだ。地域の工芸が地元の生活に根付くというのは肌感覚としてあるけれど、ここまで根付いていると強く感じるのは珍しい気がする。

それをどういった経緯で救出することになったのか聞いたところ、「自分では使わないかもしれないけれど、捨てることができない」という言葉が多方面から寄せられているらしい。輪島塗りが地元の特産とはいえ、安いものでもないだろうから、もったいないのかな、くらいに思いながら聞いていた。すると、値付けができないものだから、という話が続いた。

救出された輪島塗の御膳は、木箱に「いつ作られたのか」「誰がオーダーしたものなのか」が明記されている。「昭和のものは結構新しいという感覚になってきた」というので、よくよく聞いてみると、江戸時代のものも続々と出てくるらしいのだ。

収納のしやすさも理にかなっている


自分で買ったのではなく、代々受け継がれてきたものだからこそ、捨てることができない。その説明を聞いて深く深く納得した。輪島塗の救出は、文化を守るだけでなく、価値のあるモノとして保全をするだけでなく、持ち主の人々の気持ちを守ることにもつながるのだと、ようやくその意義を理解できてきたような気がする。

救出された器を洗いながら、たまに組み合わせがバラバラになってしまっているものを正しく揃え直していく作業も発生するらしい。形や、色や、入っている家紋や屋号など。一口に「朱色」と語れないほど、その色のバリエーションは多い。

絶妙に似た大きさの器が並ぶので、
答え合わせはほぼパズル


たまに、彼らのいう「オレンジ色」のような、やや薄い朱色の器もある。それらは赤々とした器よりもあまりよく見えない気がしていたらしいが、そういった器も実際に使われていた時代の環境を考えると「暗闇の中で蝋燭の灯りで照らしたり、自然光の中だけでみると、とても美しい」とのこと。

真ん中は「オレンジ」と呼ばれていた


夕食が終わった時、ベンさんが「これを持ってみて」と御膳を目の前に運んできてくれた。お椀の曲線に手のひらを当てると、吸い付くような気持ちの良い感覚があった。これが、本物の輪島塗の魅力だという。椀の中に入れた汁物は冷めにくく、だけど手に持っても熱くない。それが塗のお椀の良いところでもあると聞いた。

まさに谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』で語られていたことの塗りの器の魅力が、ここにあるのだろうと思った。


モノとしての器だけでなく、この御膳というのは、この地域の食文化、そしてある意味「生きがい」にもつながっていることを後に知った。

浄土真宗の「報恩講」や「よばれ」という、地域の人たちで大勢で集まって食事をする機会が非常に多いのが能登の特徴のひとつ。地域のお母さんたちは、このよばれなどのご飯をみんなで作ることが楽しみの一つであったらしい。

とはいえ、仮設住宅では大きなキッチンもなければ、たくさんの御膳を保管する場所もない。そういった機会を作っていくことで、地域のお母さんたちを励ますことにも繋がっているという。

お母さんたちが作る品数が多くて豪勢。


みんなで料理をしながら、数百年前から受け継がれた輪島塗の器で食す。そんな体験はまだしたことがない。そうか、江戸時代から続いているというのは「残っている」という古さの価値だけでなく、それが「今でも問題なく使えるという丈夫である」ことにも大きな価値があるのか。そんなことにようやく気づいた。

2日目。朝から実際に地域のお母さんたちに混ざって、御膳に並べるお料理作りをお手伝いした。同時進行で煮物や汁物、お赤飯などがどんどん手際よく用意されていく。大縄跳びにタイミングよく飛び込むような気持ちで、はじめましてのお母さんたちの作業のリズムに乗っていく。

すんなり馴染めたのは、私は生まれが神奈川とはいえ、実家がお寺で、大勢の料理を作って並べる作業に幼少期から馴染んできたからかもしれない。緊張感よりも、不思議と懐かしい気持ちになって楽しんで参加できた。

中央にいるのは今回案内してくれた
発酵デザイナー小倉ヒラクさん


こうした復興マルシェを毎月開催しているとのこと。地域の人同士が定期的に集まるからこそ、本音の困りごとなどがきちんと誰かに伝わって、助け合えるきっかけになっているという。

いざ、畳の上に広げられた一面朱色の御膳に盛り付けていく。どんな食材をも美しく見せ、食欲を誘うのがこの朱の色なのだと、目で見て深く納得した。

完成品の御膳


この日使われていた御膳は、こんなにたくさんあるけれど全部ひとつのお家から救出されたもの。「まだ新しい方だね!」とお母さんたちは笑うが、部屋の隅に置かれた木箱にはしっかりと「昭和貮年」と書かれている。昭和二年。つまり97年も前に作られたもの。今目の前にあるのは新品同様にピカピカで、写真を撮ろうとすれば鏡面のようにカメラが写ってしまうので難しいほど。いかに漆で塗った器が丈夫で長持ちするのかを思い知った。

20人前と書いてあるので、
一度に4箱オーダーしたのだろうか。


隙間の時間には、これまでに救出されてきた様々な輪島塗を見せていただいた。朱色や黒のイメージが強いが、見慣れない、しかしとても目を惹く美しいベージュ色もあった。ワインレッドのような深い色もあった。

お椀に彫りで装飾があるものを手に取れば、蓋にややポップな富士山が蒔絵で描かれいている。

彫刻の美しい蓋には螺鈿も
蓋を返せば富士山


親子の鳥や、波千鳥が可愛らしく描かれたものも。

菓子鉢の親鳥の目線の先には......
小鳥が追いかけるように飛ぶ姿が。
波千鳥の色使いも目を奪われた


お弁当サイズの小さなお重に目を奪われていたら、6点セットで揃ったものまで出てきた。こんな素敵なお重にお弁当を詰めてお花見なんてしたら、どれだけ豊かな時間になるだろう。

一つ一つに見惚れ、それぞれの時代に使われていたであろう場面に思いを馳せる。それだけで心がしっかりときめいた。こんなにたくさんの輪島塗をいっぺんに見ることができ、さらに触ることができる経験はなかなかない。

まだ洗浄が終わっていない器も、
洗えばぴかぴかに。
盆を重ねた時にできる形も美しい


なのにこんなにたくさんの輪島塗は、行き場が決まっていないものも大量にある。さらに、救出された輪島塗はおそらくまだ能登全体の1%かもしれないとのこと。

引き取り手を探していると聞いて、ぜひ支援できたらと思った。私の実家はお寺だから、もしかしたらまとまった量を引き取れるかもしれない。

ボランティアやお手伝いというと、なぜか私の中では瓦礫の撤去などのイメージが強く、自分には経験がないから足手まといになってしまうのではないか、と二の足を踏んでいた。しかし、こうした文脈で文化の保全や継承に繋がることで人手が必要だったり、遠方でも力になれる可能性があるのだということをようやく知った。これまで、素人ながら器が好きになって、色々な繋がりができてきたことが何かの役に立つかもしれない。きっと他にも様々な「私も力になれるかも」という入り口はあるのだろう。そういう嗅覚をもっと敏感に持っておきたい、と心から思った。

もしこのnoteを読んで少しでもご興味が湧いた方は、「ふらっと」さんのホームページや「能登サポ」のFacebookなど見てみてください。

ふらっと
https://flatt.jp

能登サポ
https://www.facebook.com/share/GRvBzwKKXjoFdBCV/?mibextid=LQQJ4d

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